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有給休暇、結局1日も使わなかった夏

9月1日、月曜日。8時52分のオフィスは、冷房がまだ夏の設定のままで肌寒いくらいだった。誰も彼もが日焼けした顔で、でも表情だけは8月最終週とまったく同じ疲れ方をしていて、休み明けというより、休みがなかったような顔をしている人が多かった。かく言う私もそのひとりで、パソコンを開くと同時に届いた総務からの一斉メールに、少しだけ胃のあたりが重くなった。

件名は「有給休暇の取得についてのお願い」。本文には、私の残日数がご丁寧に11日と書かれていて、取得期限は9月30日までですと、これも丁寧に赤字になっていた。11日。夏がまるまる一つ、使われないまま冷蔵庫の奥で固まった保冷剤みたいに残っていた。

思い返せば7月の頭に、一度だけ有給申請の画面を開いたことがある。カレンダーの、お盆の少し前の金曜日にカーソルを合わせて、指がしばらく止まった。そのまま画面を閉じた。理由らしい理由はなかった。強いて言うなら、休むこと自体に、休む前の準備がいる気がしたのだ。引き継ぎのメモを作って、誰かに一声かけて、休んだ次の日にたまったメールと向き合う覚悟をして。休むために働くみたいな、変な話だけれど。

8月はそうやって、申請画面を三回開いて三回とも閉じた。開いては閉じ、開いては閉じ、まるでラムネの瓶を振ってビー玉を取ろうとして、結局出てこないまま棚に戻すみたいな夏だった。ビー玉は瓶の中で最後まで、涼しい音だけを鳴らしていた。

代わりに何をしていたかというと、特別なことは何もない。近所のコンビニでその日替わりの新作パンを買って、13時のランチをデスクで済ませて、19時過ぎに退勤して、22時にはもう眠くて仕方がなかった。休みらしい休みはお盆に3日、実家に帰ったくらいで、それだって「帰省」という名目がついているだけで、有給を使ったという実感はあまりなかった。

なぜ休まなかったのか、と聞かれたら、答えに困る。忙しかったから、と言えば嘘になる気がするし、忙しくなかったから、と言うのも違う気がする。ちょうどよく忙しくて、ちょうどよく休めそうで、そのちょうどよさの中でずるずると9月に着地してしまった、というのが正しいのかもしれない。

…と、ここまで書いて気づいたのだけれど、私は多分、休むことよりも「休んでも大丈夫だと思える状態」を待っていたのだと思う。仕事が片付いて、頭の中が空っぽになって、心置きなく休める日を。でもそんな日は、結局一度も来なかった。来るのを待っている間に、9月になっていた。

これは矛盾している。休みたいのに、休める条件が整うまで休まない。条件なんて永遠に整わないことは、頭のどこかでちゃんとわかっている。わかっているのに、できない。それでも、来年またきっと同じことをする気がする。

同僚の何人かに聞いてみたら、似たような顔をしていた。「私も8日残ってる」「うちの部署なんて誰も使わないよ」と笑いながら、その笑いの奥に、うっすらとした諦めみたいなものが混ざっていた。有給の残日数は、誰かに強制されて増えたわけでもないのに、気づけば全員が同じくらい持て余していた。

そう言えば、去年もこんな9月があった気がする。ということは、来年もまた同じ9月が来るのだろうか。いや、違うかもしれない。来年の私は、今年の私よりほんの少しだけ、休むことに慣れているかもしれない。慣れていないかもしれない。どちらに転ぶかは、正直まだわからない。

9月30日まで残り29日。11日を使い切ろうとすると、平日の半分以上を休むことになる計算で、それはそれで現実味がない。だから多分、また数日を残したまま、来年の4月にリセットされていくのだと思う。有給休暇というのは、使われなかった時間が静かに消えていく、少し切ない制度だ。

それでも今日、私は少しだけ早く退勤した。18時40分、まだ空が明るくて、駅までの道の途中でセミの声がもう聞こえないことに気づいた。8月の終わりから鳴いていたはずなのに、いつの間にか静かになっていた。休みを使わなかった夏も、セミの声と同じように、気づかないうちに終わっていくものなのかもしれない。

有給を使わなかったことを、責める気にはどうしてもなれない。休めなかったのではなく、休むという選択を今年はしなかった。それだけのことだと思うことにする。来月こそは、と書きかけて、去年も同じことを書いた気がして、少し笑ってしまった。

湯船に湯をはって、バブを一つ落として、そこに15分浸かる。今年の夏、私が唯一続けられた「休む」らしい休みは、多分それくらいだった。11日分の有給の代わりに、11日分の湯気を見た。それでも十分だったと、今は思うことにしている。

あなたも今日、よく一日を働いた。休めなかった有給のことを、どうか自分を責める材料にしないでほしい。使われなかった時間は、消えたわけじゃなくて、ただそこにあった、というだけのことだから。

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