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灯油のポリタンク、去年の分がまだ残っていた

10月19日の夕方、ベランダの物置を開けたら、赤いポリタンクが出てきた。18リットルのやつで、持ち上げてみると、ちゃぽん、と中で音がした。空ではない。去年の冬、使い切らずに残しておいた灯油が、まだ半分くらい入っている。

蓋を開けると、あの匂いがした。ガソリンとはまた違う、鼻の奥にちょっと刺さるような、油の匂い。子どものころ、父がストーブに給油しているときに嗅いだのと、たぶん同じ匂いだ。匂いというのは記憶の鍵というより、記憶そのものを一緒に持ってくる気がする。嗅いだ瞬間、あの頃の畳の部屋の温度まで一緒に戻ってきた。

問題は、これがまだ使えるのかどうか、ということだった。灯油は時間が経つと劣化するらしい、というのはうっすら知っている。でもそれが半年でダメになるのか、1年なら大丈夫なのか、きちんと説明できる自信はない。スマホで調べても、サイトによって言うことが微妙に違っていて、結局「自己責任で」というような、はぐらかされた気分だけが残った。蓋を閉めて、とりあえず物置の隅に戻した。答えは出ないまま。

使い切れなかったものは、ちゃんと「残った」という形であとに残るのだな、とタンクを見ながら思った。燃やしきれなかった夜の分だけ、液体として沈んでいる。使ったぶんは煙になって消えてしまったのに、使わなかったぶんだけが、律儀にそこにいる。

話はいきなり飛ぶけれど、灯油スタンドでのセルフ給油の時間が、わたしは昔から嫌いではない。ノズルを握る手だけが先に冷たくなって、数字がゆっくり上がっていく、あのガチャン、ガチャン、という音。18リットルを満タンにするまでのあいだだけ、何も考えずにぼんやり突っ立っていていい時間がある。寒い中で何もしなくていい数分間というのは、冬の中でも割と貴重な部類に入る。

ただし難点もあって、給油のあと、手のひらにしばらく灯油の匂いが残る。何度洗っても微妙に取れなくて、そのまま電車に乗ったりすると、隣の人に気づかれていないか地味に気になる。灯油くさいおじさんになっていないか、毎回少しだけ心配しながらつり革を握っている。石油ファンヒーターの恩恵にあずかっているくせに、その痕跡はちょっと恥ずかしいという、都合のいい話だ。

去年の冬、このタンクから何回ストーブに注いだのか、正直もう覚えていない。寒い夜に何度も立ち上がって、タンクを傾けて、ポコポコという音を聞いていたはずなのに、記憶としては「寒かった」という一枚の感触だけが残っていて、回数は溶けてしまっている。

気づけば春が来て、ストーブは片付けられ、タンクは半分残ったまま物置に戻された。そして今、また10月になって、それが同じ場所から出てきた。今年の冬はまだ始まってもいないのに、去年の冬の名残だけが、そこでじっと待っている。これはちょっと変な感じがする。季節はちゃんと一周したはずなのに、片付けきれなかった分だけ、律儀に置き去りにされている。

ここまで書いていて気づいたのだけれど、灯油を使い切らないまま次の季節にいってしまうの、わたしの性格そのものな気がしてきた。仕事も、人間関係も、だいたいいつも使い切らないまま、なんとなく次に移ってしまう。きれいに完結させるのが苦手で、いつも半分くらい残ったまま、蓋を閉めて別の部屋に置いている。

でもそれは、そんなに悪いことなのだろうか。いや、悪いと決めつけるのも、なんだか違う気がする。使い切れなかった分が残っているというのは、裏を返せば、ちゃんと暖かい冬を一つ越えた証拠でもある。燃やしたぶんも燃やさなかったぶんも、同じ冬の中にいたことに変わりはない。

あなたもきっと、この半年、何かを使い切れないまま、物置の隅に置いてきたものがあるんじゃないかと思う。終わらせられなかった仕事、言えなかった一言、読みかけの本。それでも、ここまでちゃんと季節を一つまたいできた。それだけで、もう十分な気がする。

結局そのポリタンクは、また物置の同じ場所に戻した。今年の冬、新しい灯油を買い足すのか、それとも去年の分からまず使うのか、まだ決めていない。たぶん古いのと新しいのを適当に混ぜて、なんとなく使ってしまうんだと思う。それでいいのか、よくないのか、それもよくわからない。

灯油のことひとつ取っても、答えがきれいに出ないまま終わる。それでも別にいいような気がしている。全部をちゃんと使い切って、きれいさっぱり次の季節に行けたら立派だけれど、半分残ったタンクを物置に抱えたまま、それでも冬を越していく暮らしだって、ちゃんと続いていく。

10月の夕方、ポリタンクの蓋を閉める音がかちりと鳴った。来月か、再来月か、またこのタンクを持ち上げる日が来る。そのときにまた、匂いと一緒に今日のことを思い出すのかもしれない。それでいい、と今は思っている。

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