18時03分、パソコンの画面を閉じた。特に理由はない。今日やるべきことは、ちゃんと全部終わっていた。それなのに、椅子から立ち上がるとき、体のどこかがまだ座っていたがっているような感じがした。
「お先に失礼します」。声に出したその一言が、自分でもびっくりするくらい小さかった。誰かに聞こえたら困るとでもいうように。隣の席の人はまだキーボードを叩いていて、こちらを見もしなかったのに、なぜか背中に視線を感じた。感じただけで、たぶん実際には何もなかった。
エレベーターに乗って、閉ボタンをいつもより早めに押した。二人か三人くらいしか乗っていないのに、扉が閉まるまでの数秒がやけに長い。1階に着いて外に出た瞬間、思わず「すみません」と口の中でつぶやいていた。誰に対しての謝罪なのか、自分でもよくわからない。定時で帰っただけなのに。
9月の夕方の空気は、少し前とは明らかに違う手触りをしていた。まだ明るいのに、風だけが先に涼しくなっている。ビルの隙間から漏れてくる風が、シャツの中に一瞬だけ入り込んで、それがくすぐったいというより、ちょっと寂しいような気がした。夏の匂いが、もう遠くの方から抜けていっている感じがした。
帰り道、コンビニに寄って肉まんを買った。140円。レジで「温めますか」と聞かれて、一瞬何を言われたのかわからなくて固まってしまった。温めます、と答えるまでに変な間があった。たぶん店員さんは何も気にしていない。気にしていたのはこっちだけだった。
なぜ謝ってしまったのだろう、と歩きながら考えた。仕事を早く切り上げたことに、後ろめたさを覚える理由なんて、本当はどこにもないはずなのに。いや、違うかもしれない。後ろめたさというより、何かを「置いてきてしまった」感覚に近い気がする。机の上に、見えない仕事の続きをそのまま置いてきたような。
以前は、退勤ボタンを押すのが22時を過ぎてからだった時期がある。あのころは謝る余裕すらなかった。ただ疲れていて、コンビニのおにぎりを立ったまま食べて、風呂に入る気力もなくて眠ってしまう日が続いていた。あのときの自分から見たら、18時に帰れることなんて夢みたいな話だ。なのに今、その夢みたいな時間の中で、なぜか小さく縮こまっている。
肉まんを片手に、家までの道を歩く。マンションの前で、隣の棟の窓に明かりがついているのが見えた。まだ誰も帰っていないのだろうか、それとも自分より早く終えて、もう夕飯の支度をしているのだろうか。そんなことを考えても仕方ないとわかっているのに、つい他人の窓を数えてしまう。比べたって何にもならないのに。
玄関に入って靴を脱ぐと、コオロギの声が網戸の向こうから聞こえてきた。この声も、あとひと月もすれば消えているのだろう。夏の音がひとつずつ静かになっていくのを、今年もちゃんと聞き逃さずに済んだのかどうか、自信がない。
肉まんを食べながら、テレビもつけずにぼんやりしていた。今日は何も終わっていない気がするのに、実際には仕事のタスクは全部片付いている。この矛盾がずっと気持ち悪い。頭ではわかっているのに、体がまだ「もっとやるべきだったのでは」とささやいてくる。
友人にこの話をしたら、「真面目だね」と笑われた。真面目というより、たぶん臆病なのだと思う。がんばっている人の中に紛れていないと、自分がその場にいる理由がなくなるような気がしてしまう。……と、ここまで書いて気づいたけれど、これはただの言い訳を、それらしい分析に見せかけているだけかもしれない。自己分析って、たいてい自分に都合よくできている。
それでも、今日みたいに18時に帰る日を、これからも選び続けたいとは思っている。誰かに謝る必要なんてないと、頭ではもう知っている。知っているのに、体はまだそのニュースを受け取っていない。両方が同時に本当で、どちらかが嘘だとは思えない。
食べ終えた肉まんの包み紙を丸めながら、今日、自分はよくやったんじゃないかと、ひとりで小さく思った。誰にも褒められないけれど、それでいい。あなたも今日、ちゃんと自分の時間で一日を閉じられたなら、それはもう十分なことだと思う。
窓の外でコオロギがまた鳴いた。同じ声のようで、たぶん昨日とは違う声だ。同じ夕方は、もう二度と来ない。謝る必要のない一日を、今日はちゃんと終えられた。それだけで、もう十分だったことにしておきたい。
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