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日焼け止め、去年のはもう白く固まっていた

8月にしては珍しく、朝から予定があった。8時40分、玄関を出るまでの十五分で、化粧水と日焼け止めと、あとなんだっけ、と考えているうちに時間が減っていく。日焼け止めがどこにあったか、思い出せなかった。

洗面台の引き出しの、一番奥。歯ブラシの替えとか、使いかけの絆創膏とか、そういうものの下に埋もれて、去年のチューブが出てきた。キャップがやけに固い。力を入れて回すと、ぱき、と乾いた音がした。何かが割れる音というより、剥がれる音だった。

出てきたのは、白いはずの中身が、なぜか二層に分かれたものだった。上のほうは薄く黄色い液体で、下は白いクリーム。ドレッシングを振らずに使ったときの、あの分離を思い出した。混ぜようとチューブを揉んでも、もう馴染む気配がない。一年という時間が、こんな形で目の前に出てくるとは思わなかった。

一年前の自分が置いていったものは、思ったよりずっと遠くにある。そんなことを、洗面台の前で考えた。別に深い話ではなく、単にチューブの中で分離していただけなのだけれど、その分離が、去年の夏と今年の夏のあいだにある距離みたいに見えた。

去年のいつ買ったんだったか。レシートなんて残っていないし、記憶も曖昧だけれど、たしか7月の半ば、駅前のドラッグストアで、値引きシールが貼られていたのを覚えている。SPF50、と大きく書かれたパッケージ。あのとき誰かと海に行く予定があって、結局その予定は流れて、日焼け止めだけが残った。予定が流れたことすら、もう思い出すのに少し時間がかかる。

夏の消耗品って、なぜかいつも使いきれない。制汗剤のスプレーは半分残ったまま冬を越すし、虫除けもいつのまにか液が減らなくなる。蚊取り線香が最後まで燃えきらないのと同じ理屈なのかもしれない。使いきる前に、夏のほうが先に終わってしまう。こっちが追いつけないスピードで、季節は出ていってしまう。

それでも今年、新しい日焼け止めを買わなかった。ドラッグストアの前を何度も通ったのに、レジに持っていく気になれなかった。ケチなのか、それとも去年のものへの謎の執着なのか、自分でもよくわからない。分離したチューブを持って、まだ使えるはず、と思う自分と、いや、これはもう替えるべきでは、と思う自分が、洗面台の前でずっと押し合いをしていた。

結局、揉んで、無理やり混ぜて、使うことにした。わかっている。日焼け止めは劣化する。効果も落ちる。それでも、なんとなく捨てられない。わかっているのに、できない。……いや、できないというより、したくない、のかもしれない。捨てる、という行為に、去年の夏ごと処分するような気分がまとわりついてくるからだろうか。

塗ってみると、思ったより普通に伸びた。肌の上でうっすら白くなって、それが乾いていく感触も、去年と変わらなかった。中身が分離していたことなんて、塗ってしまえばもうわからない。分かれていたものが、肌の上でまた一つに戻っていくみたいだった。

あなたも今日、こんな些細なことで十五分の予定を圧迫していたかもしれない。でも、それでよかったと思う。日焼け止めひとつのことで足を止められるくらいの余白が、今日のあなたにあったということだから。

玄関を出ると、すでに気温は上がりきっていた。アスファルトから立つ匂い、去年の夏とまったく同じ匂いがした。匂いというのは、こういうときに一番はっきりと過去を連れてくる。去年もこの道を、同じ日焼け止めの匂いをまとって歩いたはずなのに、あのときの自分が何を考えていたか、もう思い出せない。

たぶん、今年の夏も、来年になれば大半を忘れる。分離したチューブが今年の夏の終わりに残って、また来年、洗面台の奥から発見されるのかもしれない。そう考えると少し笑えてくる。同じことを繰り返しているようで、実は毎年少しずつ違う自分がそれをやっている。

結局、今年も新しいのを買うタイミングを逃しそうな気がしている。分離したら混ぜればいい、と開き直っているところもある。それが正しい生活態度かどうかはわからないし、ちゃんとしている人なら鼻で笑うかもしれない。でも、そのくらいの雑さで乗り切れる夏があってもいいと思う。

チューブはまだ半分残っている。使いきれるかどうかはわからない。使いきれなくても、それでいい。分離したまま、混ぜて、また分離して、を繰り返しながら、この夏もどうにか終わっていくのだろう。きれいに使いきれなかったことより、今日も塗って外に出られたことのほうが、たぶんずっと大事だ。

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