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線香花火は、いつも同じところで消える

8月10日、23時4分。マンションのベランダに出て、コンビニで買った花火セットの袋を開けた。中身はもう半分くらいしか残っていなくて、線香花火は最後の3本だった。花火セットというのは、なぜかいつも線香花火だけが少ない。ロケット花火や噴射系の派手なやつはたくさん入っているのに、地味なやつは数が足りない。誰が決めたのか知らないが、毎年同じ配分で腹が立つ。

ライターの火を近づけると、こより状の先が「ジジッ」と音を立てて、オレンジ色の小さな玉ができる。あの一瞬の匂いが好きだ。硫黄っぽい、火薬の匂い。子供の頃、これを吸い込むと頭が痛くなると聞いたことがあるけれど、いまだにその匂いを嗅ぐと、なぜか少し安心してしまう。隣のベランダから蚊取り線香の匂いも漂ってきて、夏の匂いが二重になって混ざっていた。

火花が出はじめる。最初は勢いよく、ぶわっと広がる牡丹の形。それがだんだん細くなって、松葉のように尖った線になり、次に柳みたいに垂れ下がって、最後は散り菊。この順番、毎回同じだ。そして最後は必ず、ポトリと玉が落ちる。伸ばそうと思っても伸ばせないし、早めようと思っても早まらない。買ったメーカーが違っても、線香の太さが違っても、順番の骨格はいつも同じだった。

これに気づいたとき、少し笑ってしまった。私はいつも、火花が細くなってくると「まだいける、まだいける」と念を送るタイプで、玉が落ちる瞬間に「あー」と声を出すタイプなのだけど、その念送りは一度も効いたことがない。効くわけがないのに、毎回本気で祈っている自分がちょっと恥ずかしい。

3本のうち、私が持った1本目は42秒で落ちた。数えていたわけではないのに、なんとなく指で拍を取っていて、あとで時計を見たら23時5分過ぎだった。42秒。短いなと思ったけれど、線香花火というのはそもそも1分持てば上出来らしい。上出来、というのも誰が決めた基準なのか分からないけれど、そう思うことにしている。

隣で夫が持っている2本目は、なぜか私のより長く、1分と少し保っていた。同じ袋から出した、見た目もほぼ同じ花火なのに、火花の保ち方が違う。持ち方の角度なのか、湿気の当たり方なのか、正直よく分からない。分からないまま、私たちはただ黙って見ていた。会話をするより、火花の先を見ているほうが、この時間には合っている気がした。

――と、ここまで書いて気づいた。私は花火の「持ち方」を工夫しようとしていたけれど、そもそも工夫でどうにかなる部分なんて、たぶんほんの少しだったのだ。角度を変えようが、風を避けようが、玉が落ちる瞬間はやってくる。頑張っても伸びないし、気を抜いたからって急に縮むわけでもない。その事実に、なぜかちょっとほっとした。

仕事のことを思い出す。今月は本当にいろいろあって、締切に追われて、資料の直しが3回戻ってきて、上司からの一言に地味に凹んだ夜もあった。頑張れば結果が変わると信じてやってきたつもりだったけれど、頑張っても変わらないことのほうが、実は多いのかもしれない。線香花火の火花の順番みたいに、決まっている部分がある。牡丹の時間に牡丹をやって、松葉の時間に松葉をやる。それだけでいいのかもしれない。

いや、そう言い切るのも違う気がする。だって私は毎回本気で「まだいける」と念を送っているわけで、諦めているわけじゃない。頑張ることをやめたいわけでもない。ただ、玉が落ちる瞬間まで頑張ったところで、落ちる瞬間そのものはどうにもできないと、知っているだけだ。矛盾しているけれど、それでいいような気がする。

3本目は、じゃんけんで負けた私が持つことになった。じゃんけんに負けて花火を持つ係になるという、この不毛な儀式もいつからやっているのか覚えていない。小学生の頃、近所の子たちとやっていたのと同じルールを、いまも30代の夫婦でやっている。そう考えると少し笑える。中身は変わったのに、ルールだけがそのまま残っている。

3本目は、火をつけてすぐに玉が落ちた。19秒。過去最短だった。特に何もしていないのに、こんなに早く終わることもある。持ち方も角度も同じだったはずなのに。理由はよく分からない。分からないことを分からないままにしておく練習を、こういう小さな場面でしているのかもしれない。

花火が全部終わると、あとには燃え殻と、細い煙と、少し湿った夜の空気だけが残った。花火大会のような大きな音も光もない。ただ小さな玉が、3回、順番どおりに落ちて消えただけだ。でも、今日という日にこの3本が消えるのを見たのは、私たちだけだった。来年また同じ花火セットを買っても、今夜と同じ42秒や19秒はもう来ない。そう思うと、なんだか少しさびしくて、でも悪くない気持ちだった。

あなたも今日、暑い中よくここまでやってきた。締切も、直しも、じゃんけんに負けた不毛な役割も、全部よくやっている。線香花火の火花が消える順番みたいに、変えられないことはたぶんこれからも変えられないままだけど、それでも火をつける手だけは、自分で動かせる。今夜、その手を動かしたことだけで、もう十分だと思う。

袋を片付けながら、来年はもう少し線香花火の多いセットを探そうと思った。探しても、たぶん配分は変わらない。それでも探すことは、やめないでおこうと思っている。

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