深夜1時2分。エアコンの設定温度を26度から27度に上げてみたけれど、結局また26度に戻した。こういう一度の攻防に、我ながら本気を出しすぎている気がする。
目が冴えているのは、たぶん昼寝のせいだ。土曜の午後3時、ソファで意識を失うように眠ってしまい、気づいたら窓の外がオレンジ色になっていた。あの3時間の昼寝は気持ちよかったけれど、今こうして夜中に返ってきているのだと思うと、貸し借りって案外ちゃんと帳尻が合うものらしい。
部屋は静かだ。静かすぎて、逆に音がよく聞こえる。冷蔵庫の低い唸り、換気扇の回転音、それから、忘れた頃にやってくる「ガコン」という重たい音。台所の冷蔵庫の製氷機が、律儀に氷を落としている音だ。
この音、いつからこんなに気になるようになったんだろう。以前は生活音のひとつとして聞き流していたはずなのに、眠れない夜にかぎって、まるで誰かが台所で静かに仕事をしているみたいに感じられる。氷はひとりでに増えていく。頼んでもいないのに、律儀すぎる同居人だ。
製氷皿がいっぱいになるまで、機械は水を引いて、凍らせて、落として、また水を引く。休むということを知らない。人間なら過労で倒れているところだ。それでも文句ひとつ言わず、真夜中の台所でずっと同じ作業を繰り返している姿を想像すると、なんだか勝手に肩入れしたくなる。おつかれさま、と声をかけたくなるけれど、相手は機械だから、当然何も返してこない。
起き上がって台所に行き、麦茶のパックを二袋、鍋に放り込んで火にかけた。本当は一袋で足りるのに、二袋入れてしまうのは、濃い麦茶が好きというより、夜中にひとりで何かを準備している時間そのものが妙に落ち着くからかもしれない。ぐつぐつという音と麦の匂いが台所に満ちる間、製氷機はまだガコンと鳴っていた。
できあがった麦茶を冷やす間もなく、律儀な同居人が作ってくれた氷をグラスに三つ落として、ぬるい麦茶をそのまま注いだ。グラスの表面にすぐ水滴がつく。指でなぞると、そこだけ涼しい線ができて、また元に戻っていく。この一瞬のためだけに氷を作っているわけではないのに、こういう小さな帳尻合わせに助けられている夜がある。
窓の外で、遠くの国道を走る車の音がひとつ、またひとつと過ぎていく。誰かが夜勤明けで帰っているのか、それとも遊び疲れて帰っているのか。顔も知らない誰かの夜と、自分の眠れない夜が、たまたま同じ時間に重なっているというだけのことなのに、少しだけ心強い気がするのはなぜだろう。いや、心強いというのは大げさかもしれない。ただ、独りじゃないと錯覚したいだけかもしれない。
そういえば去年の夏も、同じようにして夜中に麦茶を作った気がする。あのときの部屋の暑さや、グラスの結露の感触は、たぶんもう戻ってこない。今年の暑さは今年だけのもので、同じ夜は来年にはもう存在しない。当たり前のことなのに、氷がグラスの中でひとつ溶けて小さくなっていくのを見ていると、そういうことをふと思い出してしまう。
眠れないことを、これまでは失敗のように扱ってきた。明日のパフォーマンスが落ちる、体調管理ができていない、自己管理の甘さ、と、自分を採点する言葉ばかりが浮かんでくる。でも今夜にかぎっては、そういう採点を、いったん製氷機に預けてみることにした。向こうは黙々と仕事をしているだけで、こちらを評価する気なんて最初からないのだから。
わかっている。早く寝たほうがいいし、寝る前にスマホを見ないほうがいいし、昼寝は2時間以内に留めるべきだ。頭ではちゃんとわかっているのに、体はグラスの結露をもう一度なぞりたがっている。わかっているのに、できない。それでも、こうして麦茶を飲みながら製氷機の音を聞いている時間を、まるごと悪いものとして扱う必要はない気がしてきた。
1時46分。麦茶を飲み終えて、グラスを軽く水ですすいでシンクに置いた。まだ製氷機は仕事を続けている。氷がいっぱいになれば止まるはずだけれど、その瞬間を見届けたことは一度もない。たぶん今夜も見届けないまま、先に眠ってしまうのだろう。
布団に戻る前に、もう一度だけエアコンのリモコンに手を伸ばして、結局何も変えずに置いた。26度のままでいい。眠れるかどうかは、たぶん温度の問題じゃない。
台所の音は、もう聞こえない位置まで来た。それでも、あの機械は今もきっと働いている。誰にも見られていないところで、ちゃんと動いているものがあるというのは、なんだか少し救いだ。今日も一日、よく持ちこたえた自分にも、そのくらいの静かな肯定をあげてもいい。眠れない夜も、悪くない。少なくとも今夜はそう思うことにする。
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