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駅のホームの扇風機、前だけ渋滞していた

18時32分、私鉄のホームに立っていた。電光掲示板は「準急・上り、あと6分」と表示していて、その数字はしばらく変わらなかった。ホームの端に据え付けられた扇風機が、ゆるい音を立てて首を振っている。羽根のあたりから、少し焦げたような、金属が熱を持ったときだけの匂いがした。あの匂いを言葉にするのは難しいけれど、真夏のホームにいる人なら、たぶんわかる。

気づけば、扇風機の正面だけ人が渋滞していた。誰かが並べと言ったわけでもないのに、風が来る角度に体をわずかにずらしながら、五、六人が緩やかな弧を描いて立っている。蝉の声はホームの熱気に押されて、少し遠くから聞こえた。近くにいるはずなのに、なぜか遠い。

自分もその渦にするりと吸い込まれた。最初は「ちょっとだけ」のつもりだった。けれど風の来る三十センチの範囲というのは、思っていたより気持ちよくて、気づけば三分のつもりが五分になっていた。後ろでスマホを見ていた学生らしき人が、ちらっとこちらを見た気がして、慌てて半歩だけ場所をゆずった。譲ったというより、ばれたので退いた、というのが正直なところだ。

不思議なのは、誰も文句を言わないことだった。列を作っているわけでも、順番を数えているわけでもないのに、なんとなく人が入れ替わっていく。暑さのせいで、みんな気力がなくて争う元気もないだけかもしれない。いや、違うかもしれない。むしろ、涼みたい気持ちが同じだとわかっているから、自然と譲れるのかもしれない。どちらが本当かは、今もよくわからない。

実家にあった古い扇風機を思い出した。首振りのモーターがいかれていて、いつも同じ角度でしか風を送れなかった扇風機だ。父はそれを「お気に入りの人にしか吹かない扇風機」と呼んでいた。実際は単なる故障なのだけれど、その言い方のせいで、家族の誰かがその角度に座ると、少し得意げな顔をしていたのを覚えている。あの扇風機は、今どこにあるのだろう。たぶん、もう捨てられている。

話がそれた。ホームの話に戻る。準急が来る、というアナウンスが流れると、渦はあっけなく崩れた。人々はそれぞれのドアの位置に散らばっていって、扇風機の前には誰もいなくなった。ほんの数分前まであった小さな譲り合いは、電車が来た瞬間に消えてしまう。あの光景は、もう二度と同じ形では起こらない。同じ人たちが、同じ暑さの中で、同じ角度に立つことは、たぶんもうない。

車内に入ると冷房が効いていて、汗がすっと引いていくのがわかった。座席に座ってから、さっきのホームのことを、なぜかずっと考えていた。涼しい車内にいるのに、頭の中はまだあの熱気の中にいる感じがする。

涼みたい気持ちを、独り占めしなかっただけで、なんだか少し救われた気分になった。別に誰かに感謝されたわけでも、褒められたわけでもない。ただ、風の来る場所を数十秒ずつ分け合っただけだ。それだけのことなのに、心のどこかが少しやわらかくなった。

考えてみれば、休みたい気持ちも似ている。有給を先に使わせてもらったり、席を譲られたり、誰かが早く帰るぶん自分が少し多く働いたり。順番も決まりもないのに、なんとなく回っている。うまく回っているときは気づかないけれど、回らなくなった瞬間にだけ、みんなそれに気づく。

正直に言うと、本当は全部欲しい。涼しさも、休みも、誰にも譲らずに独り占めしたい日がある。扇風機の前にずっと立っていたい日だってある。でも現実には、そうもいかない。少しずつ分け合うしかないという事実と、独り占めしたい気持ちは、たぶんこの先もずっと両方あるままなんだと思う。解決しないまま、なんとなく共存している。

あなたも今日、暑い中をよく歩いた。電車を待つあいだ、汗をかきながら、それでも仕事や用事に向かって歩いた。それだけで、今日はもう十分がんばった日だと思う。

扇風機の前の渋滞は、たぶん明日もどこかの駅で起きている。同じ人ではないし、同じ角度でもない。でも似たような譲り合いが、また誰かの知らないところで起きているはずだ。それを思うと、少しだけ気が楽になる。全部を自分ひとりで抱え込まなくても、涼しさはめぐっていくのだと思えるから。

電車が動き出す。窓の外にホームの扇風機がまだ首を振っているのが見えた。誰もいない今も律儀に、来もしない人のために風を送り続けている。それはちょっと滑稽で、でも妙に安心する眺めだった。

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