8月13日、夕方6時すぎ。台所のカレンダーには「盆休み」とだけ赤ペンで書いてあって、その下に何も予定がない。扇風機は首を振りながら、換気扇の音と混ざって、ずっと同じリズムで唸っている。外ではまだ蝉が鳴いていて、こんな時間まで働くなんてお前も大変だな、と思いながら網戸越しに眺めていた。
今年は実家に帰らないことにした。理由を聞かれたら、仕事が、とか、新幹線が、とか、いくらでも並べられる。実際どれも嘘ではない。指定席は帰省ラッシュの初日でとっくに売り切れていたし、自由席に3時間立つ気力もなかった。ただ、正直に言うと、理由の一番上にあるのは「なんとなく」で、それを人に説明するのが一番面倒だった。
電話をかけたのは夜8時ちょうど。呼び出し音は3回で母が出た。もしもし、と言う声のトーンで、母がテレビを見ながら電話に出たことがわかる。うちの母は電話の相手によって声の高さを変える人で、これは近所の人用でもセールスの人用でもない、私用の声だった。
「今年は帰らないと思う」と言ったら、少し間があって、母は笑った。怒るでも拗ねるでもなく、ふふ、と短く。拍子抜けした。むしろこっちが身構えていた分だけ、なんだか変な気分になった。
その笑いの意味を、電話を切ったあともしばらく考えていた。安心されたのか、呆れられたのか、それとも単にテレビの画面で誰かが転んだのか。母に聞けばよかったのに、聞かなかった。聞いたところで「別に」と返ってくるのはわかっていたし、それはそれで正解な気がした。
話はそれるけれど、去年のこの時期、実家に帰る新幹線の指定席が13,200円だったことをなぜかレシートの記憶で覚えている。今年はその往復分、宅配便の送料と菓子折り代を足しても半分もかからなかった。得をしたはずなのに、得をした気がまったくしないのが不思議だった。
盆というのは、帰らないと決めた瞬間から急に存在感を増す行事だ。普段は意識もしない仏壇や提灯のことが、この時期だけ妙に頭に浮かぶ。うちの実家の仏壇は西向きで、夕方になると西日が入って線香の煙がオレンジ色に光る。あの光景を、今年は見に行かない。見に行かないことを、こんなふうに文章にしている時点で、たぶんまだ気にしている。
電話の翌々日、母からビデオ通話がかかってきた。画面の向こうに庭が映る。去年植えた朝顔がずいぶん伸びていて、母がわざわざ縁側まで移動してスイカを見せてくれた。一玉買ったけど誰も食べる人がいない、と笑いながら言う母の背後で、風鈴が一度だけ鳴った。音の理由は風なのか猫なのか、画面越しではわからなかった。
こちらはこちらで、その日の夕飯は素麺だった。市販のつゆに、刻みねぎだけ足して、一人分をゆでる鍋の小ささにちょっと笑ってしまう。実家では大皿にどっさり茹でて、家族4人でつつくのが普通だったのに、今の鍋はどう頑張っても2人前が限界だ。一人で暮らすというのは、こういう地味な縮尺の変化に何年経っても慣れないということでもある。
……と、ここまで書いて気づいたけれど、私は「帰らなかった理由」より「帰らなかったことをどう正当化するか」ばかり考えている。仕事のせい、新幹線のせい、暑さのせい。挙げれば挙げるほど、本当の理由から遠ざかっている気がする。本当の理由は、たぶんただ、今年は少し疲れていて、実家という優しい場所にすら行く元気が出なかった、それだけなのだと思う。
親を心配させないための嘘と、自分を守るための嘘は、似ているようで少し違う。私が母についた小さな嘘は後者だったのかもしれない。それに気づいたところで、じゃあ来年は絶対帰る、と言い切れるかというと、たぶん来年も同じような電話を、同じような時間にかけている気がする。わかっているのに、変えられない。それでも別にいい、と今は思っている。
セミの一生は地上に出てからだいたい1週間だと聞いたことがあるけれど、あの声の主も、去年鳴いていた個体とは別の誰かなのだろう。同じ夏のように聞こえて、実は毎年少しずつ違う夏が来ている。実家の縁側も、今年見なかった西日の色も、来年また同じように見られるとは限らない。そう思うと、帰らなかったことの小さな後ろめたさが、少しだけ形を変える。
帰省ラッシュのニュースで、上りの高速道路が40キロ渋滞していると言っていた。あの車の中に座っている人たちが、みんな喜んで実家に向かっているとは限らない。義理で、習慣で、なんとなくで、乗っている人もきっといるはずだ。逆に、乗らなかった私みたいな人間も、それはそれで一つの選び方でしかない。
あなたも今年、帰るか帰らないか、少し迷ったかもしれない。迷った時点で、もう十分ちゃんと考えている。帰った人にも、帰らなかった人にも、それぞれの盆があって、それぞれの罪悪感と、それぞれの安堵がある。どちらが正しいという話ではないのだと思う。
母はあの日、結局なぜ笑ったのか、今も聞いていない。もしかしたら本当にただ、テレビで誰かが転んだだけかもしれない。それならそれで、いい夏の記憶だ。
扇風機はまだ同じリズムで首を振っている。来年の盆にはこの部屋にいるのか、それとも別の場所にいるのか、それすらまだわからない。わからないまま、今夜はもう電気を消して寝る。それでいい夏もある。
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