10月14日、17時40分。駅ビル3階の文房具売り場に、来年の手帳コーナーができていた。まだ今年のカレンダーは2ヶ月半も残っているのに、棚には「2026」という数字がもう堂々と並んでいて、なんだか先を越された気分になる。こっちはまだ今年のことすら片付いていないのに。
表紙の匂いがする。新しいビニールの匂いと、紙とインクが混ざった、文房具屋特有のあの匂い。蛍光灯の下で、紺や深緑や辛子色の表紙がつやつやと光っていて、触るとひんやりしている。私はいつも、この匂いを嗅いだ瞬間だけ、少しだけ真面目な人間になった気がする。実際はなっていないのだけれど。
1980円のマンスリー手帳と、3300円のほぼ日と、無印の薄いノートの間を、47分うろうろした。マンスリーにするかウィークリーにするか。方眼かドット方眼か無地か。そんなことで47分も立ち尽くせる自分に、半分あきれながら、半分はけっこう本気だった。こういうときだけ人は妙に慎重になる。普段の服はテキトーに選ぶくせに。
高校生の頃、親にシステム手帳を買ってもらったことがある。茶色い革の、ちょっと大人びたやつ。1月はびっしり予定を書いた。2月も書いた。3月の半ばあたりから、記入欄が急に静かになって、4月にはもう開かれなくなっていた。あの手帳は今もどこかの引き出しにいる気がする。中身は1月と2月だけ住人がいて、あとはずっと空き家のまま。
考えてみれば、私が買ってきた手帳は、だいたいそういう運命をたどっている。買う瞬間はいつも本気で、「今年こそはちゃんと使う」と思っている。思っているのに、2月の終わりにはもう白紙のページが増えていく。それなのに10月になるとまた性懲りもなく手帳売り場に来てしまう自分がいる。学習能力、ゼロ。いや、ゼロというのは言い過ぎかもしれない。毎年少しずつ、買う手帳の値段だけは下がっている気がする。
今年目をつけたのは、マークスの薄いマンスリー手帳だった。ページが少ない。書く欄も小さい。これなら続くかもしれない、と思った自分に、もう一人の自分がすかさずツッコミを入れる。去年もそう思って、結局2月で止まったじゃないか、と。それでも手に取ってしまうのだから、人間というのは懲りない生き物だ。
手帳を選ぶというのは、たぶん今年の自分を否定することなんだと思う。今の自分は予定を書き忘れるし、タスクを先延ばしにするし、締切前日になってやっと動き出す。けれど来年の自分は違う、来年の自分はもっとちゃんとしている――そう思わないと、1980円の紙の束は買えない。買う瞬間、私はいつも今の自分より少しだけ上等な未来を信じている。
…と、ここまで書いて気づいた。これはべつに悪いことじゃないのかもしれない。毎年同じように裏切られて、毎年同じように手帳を買う。それは進歩がないのではなく、ただ同じ場所を、少しずつ違う靴で歩いているだけなんじゃないだろうか。去年の自分と今年の自分は、たぶんそんなに変わっていない。でも去年の10月14日と、今年の10月14日は、確かに別の夕方だった。
レジのお姉さんに「ラッピングされますか」と聞かれて、一瞬迷ってから「いえ、大丈夫です」と答えた。自分用のものにラッピングをお願いするのは、なんだか照れくさい。紙袋に入れてもらって、エスカレーターを降りながら、袋の中の手帳の重さを確かめるように少し揺らしてみた。軽い。この軽さの中に、来年の365日が折りたたまれているのかと思うと、ちょっと不思議な気持ちになる。
駅の改札を出て、金木犀の匂いがする道を歩いた。もう何度も嗅いだはずなのに、今年もまた「あ、金木犀だ」と立ち止まってしまう。匂いというのは記憶より早く反応するものらしい。この匂いも、あと2週間もすれば消えてしまって、来年の10月までまたお預けになる。毎年同じ場所に同じ花が咲いて、毎年同じように見逃しそうになって、毎年なんとか気づく。それでいいような気がする。
家に帰って、買った手帳をテーブルに置いたまま、結局その日は何も書かなかった。1月1日を待つつもりなのか、それとも単にめんどくさいだけなのか、自分でもよくわからない。たぶん半分くらいはめんどくさいだけだ。でも手帳はしばらくこのままテーブルの上にいて、気が向いたときにふと開かれて、また気が向かない日は閉じたままで、そういう付き合い方でいいんじゃないかと思う。
わかっている。どうせ今年も2月あたりで止まる。わかっているのに、それでも買ってしまう。使い切れないとわかっているものを毎年買うなんて、ちょっと滑稽かもしれない。でも滑稽でいいんじゃないか、とも思う。完璧に使い切る手帳より、途中で止まってしまう手帳の方が、人間らしい気がしてしまうのは、負け惜しみだろうか。いや、そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
あなたも今日、どこかで小さく先のことを考えたんじゃないだろうか。来年のこと、来月のこと、あるいは来週のことだけでも。考えただけで、まだ何も始めていなくても、それはそれでちゃんとした一歩だと思う。
手帳はまだ真っ白のままテーブルの上にある。1月の2週間だけ、また少し賑やかになるだろう。それでいい。空き家の期間が長くても、毎年ちゃんと誰かが住みにくる手帳なら、それはそれで悪くない暮らし方だと思うことにしている。
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