畳の上に敷いた薄い座布団、その上に横向きで転がって、気づいたら扇風機の首振りが止まっていた。時計を見ると17時03分。窓の外はまだ明るくて、蝉の声はさっきよりだいぶ数が減っている。ソロで鳴いている一匹だけが、律儀に仕事を続けていた。
昼の1時過ぎに寝転んだ気がするから、たぶん3時間くらい消えている。3時間。これがもし夜だったら、映画を一本見終わって、感想をメモにまとめて、湯船にも浸かれる時間だ。それが跡形もなく、扇風機の風の中に溶けてしまった。
口の端に薄く乾いた跡がある。よだれだ。20代の途中まで、自分は寝ても行儀のいい人間だと思っていたけれど、どうも違ったらしい。畳にも小さな染みができていて、これは誰かに見せるものではないな、と思いながらティッシュで拭いた。
起きた瞬間、まず来るのは「やってしまった」という感覚だった。何をやってしまったのか、自分でもよくわからない。誰にも予定を潰されたわけじゃない。土曜の午後を、ただ寝て過ごしただけだ。それなのに、体のどこかが小さく謝っている。
子どもの頃、こういう昼寝をすると母に肩を揺すられた。「もう夕方だよ、そんなに寝てたら夜眠れなくなるよ」と。あのときの声を、今でも自分の中の誰かが真似して言っている気がする。母はもう隣の県にいて、この部屋には誰もいないのに。
麦茶のグラスが、寝る前のまま座卓に置いてあった。氷はとっくに溶けて、表面に薄い水の膜が張っている。一口飲むと、味というより温度だけが残っていた。ぬるい麦茶ほど、時間が経ったことをはっきり教えてくるものはない。
起きて何をするでもなく、しばらく座布団の上に体育座りで座っていた。頭がまだ半分眠っていて、17時という数字と、外がまだ明るいという事実がうまく噛み合わない。夏の夕方は、時間の目盛りがゆるくなる。だから怖いのだと思う。ゆるいまま、気づけばどこまでも溶けていく。
本当なら、この時間で洗濯物を取り込んで、シーツも替えて、溜まっていたメールも返して、くらいのことができたはずだ。できたはずのことを数え上げるのは簡単で、そのぶん自分を刺す針も増えていく。刺しても血は出ないのに、なぜか痛い。
……と、ここまで書いていて、あれ、と思う。3時間眠れたということは、それだけ体が眠りを欲していたということじゃないか。欲していたものを、欲していた分だけ与えた。それのどこが「やってしまった」ことになるのだろう。
わかっているのに、まだ少し引っかかっている自分がいる。休むことにも成果を求めてしまう癖は、たぶんこの数年でこびりついたもので、今日ひと眠りしたくらいでは取れない。取れないまま、それでも今日はよく眠った。それでいいことにする。
セミは地上に出てから鳴けるのが一週間ほどだと聞いたことがある。あの一匹だけ律儀に鳴き続けている個体は、その一週間のどのあたりにいるのだろう。そんなことを考えても答えは出ないし、出たところで自分の3時間は戻ってこない。
戻ってこないといえば、今日の17時は今日しかない17時で、去年の8月の昼寝とも、来年の昼寝とも違う。そう考えると、あの3時間はどこにも行っていない気もしてくる。ただこの部屋の畳と、少し湿った座布団の中に、静かに沈んでいっただけで。
立ち上がって台所に行き、麦茶を作り直した。ポットの中の空のパックを取り出しながら、また今日も一個パックを使い切ってしまったな、と、どうでもいいことを思う。冷蔵庫のドアを閉める音が、思ったより大きく響いた部屋に、自分しかいない。
このエッセイを書いている今も、正直まだ少し、あの3時間をどこかで惜しんでいる自分がいる。矛盾しているとわかっていて、それでも惜しい。惜しいまま、麦茶のグラスに新しい氷を足す。矛盾ごと持ったまま生きていくしかないのだと思う。
あなたも今日、どこかでうたた寝をしただろうか。したなら、それでよかったのだと思う。起きたときの時計の数字がどれだけ後ろめたく見えても、体はそれを必要としていた。
窓の外で、あの一匹の蝉がまだ鳴いている。明日も鳴くかどうかはわからない。わからないから、今日鳴いている声を、ただそのまま聞いていようと思う。何かを取り返そうとせずに、17時のぬるい麦茶を飲みながら。
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