近所の神社の夏祭りは、19時になると急に人が増える。提灯の下に裸電球がぶら下がっていて、地面には割り箸とかき氷のシロップの跡がべたべたと残っている。7月20日、土曜日。特に予定もなかったので、ふらっと歩いて行ってみた。浴衣なんて持っていないから、いつものTシャツと短パンで。それだけで少し、場違いな気がした。
金魚すくいの屋台の前で、しばらく立ち止まった。水槽の中で赤いのと出目金が、ちゃぷちゃぷと重なり合うように泳いでいる。1回200円。ポイは1枚。店のおじさんが、慣れた手つきで紙の枠を渡してくれる。あの紙、正式には何というのか知らないまま、もう30年近く生きている。
水面にポイを差し込んだ瞬間の、あの薄い抵抗感。指先に伝わってくる感触は毎年同じで、毎年ちゃんと忘れている。今年もやっぱり忘れていて、1匹目を追いかけた3秒後に、ぱりっと小さな音がした。紙が破れる音というのは、思っていたより静かだ。悲鳴を上げるようなものでもない。
2枚目も、3枚目も同じだった。金魚は水槽の隅に逃げて、こちらを見ているのかいないのか、ただ口をぱくぱくさせている。隣にいた小学生くらいの女の子は、器用にすくい上げてビニール袋に入れてもらっていた。すごいね、と声をかけたら、コツはね、と得意げに何か説明してくれたけれど、正直まったく頭に入ってこなかった。
結局、1匹も獲れなかった。300円と交換に破れたポイが3枚、手元に残った。悔しいというより、なんだかおかしくて笑ってしまった。大人になっても金魚すくいが下手なままだということに、こんなに堂々と気づかされる機会もそうない。
屋台の裏の水槽には、売れ残った金魚たちがまだ泳いでいた。すくわれなかった金魚も、すくわれた金魚も、たぶん次の日には同じように餌をもらって同じように水の中にいる。すくえたかどうかは、こちらの都合でしかなくて、金魚の側には関係のない話なのだと、水面を見ながらぼんやり思った。
蚊取り線香の匂いが風向きによって強くなったり弱くなったりする。かき氷の列に並ぶ声、輪投げの輪がころころ転がる音、遠くのスピーカーから流れる盆踊りの音頭。全部が同時に鳴っていて、どれも主役になろうとしていない。祭りの音というのは、争わない音なのかもしれない。
ここまで書いて気づいたのだけれど、金魚すくいがうまくいかなかったことに、自分がここまで安心しているのはなぜだろう。うまくいかないことを、ちゃんと受け止められた気がしたからだろうか。いや、そんな立派なものではなくて、単に破れたポイを見て笑えたのがよかっただけかもしれない。
仕事でも、思うようにいかない日のほうが多い。企画が通らない。返信が来ない。準備した分だけ結果が出るとは限らない。それはわかっている。わかっているのに、うまくいかないと、自分のやり方が悪かったのだと責めてしまう。金魚すくいと同じ構造だと思えば、少しは笑って流せるはずなのに、現実の場面ではなかなかそうはいかない。
屋台を後にして、コンビニで麦茶を買って帰った。23時8分。祭りの音はもう聞こえなくて、代わりに換気扇の音とコンビニの冷蔵庫の唸りだけが辺りにあった。冷たい麦茶を飲みながら、今日は結局、何もすくえなかった夜だったなと思う。
でも、すくえなかった金魚のことを、こんなに丁寧に思い出せる夜も、そうそうない。破れた紙のことも、女の子の得意げな顔も、蚊取り線香の匂いも、全部ちゃんと覚えている。獲得できなかったからこそ、逆に何も持ち帰らずに済んで、記憶のほうに残った気がする。
同じ祭りは、来年もあるようでいて、実は二度と来ない。同じ屋台のおじさんも、同じ水槽の金魚も、来年には入れ替わっているだろう。今夜という一回きりの夜に、たまたま自分は3枚のポイを破って帰った。それだけのことが、なぜか胸のどこかに残っている。
あなたも今日、よく暑い中を歩いた。うまくいかなかったことがあっても、それはそれで、ちゃんと今日という日の形をしている。
金魚は結局、すくえなくてもいい。すくえなかった夜のことを、笑って話せるくらいでちょうどいいのだと、破れたポイを3枚並べて、そう思うことにした。
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