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加湿器、電源を入れたら埃の匂いがした

夜中の2時過ぎ、喉の奥がひりついて目が覚めた。水を飲みに台所まで歩く途中、素足の裏がやけに冷たくて、ああ、もう10月の半ばなんだったと思い出す。窓の外は雨上がりらしく、網戸の向こうから湿った土の匂いがしていたのに、部屋の中の空気だけが妙に乾いていた。

翌日、仕事の帰りにクローゼットの奥から加湿器を引っ張り出した。去年の春にしまったきり、一度も開けていない段ボールの横に、埃をかぶって転がっていた。タンクの容量は2.5リットルと書いてあるのに、なぜか毎年500ミリリットルくらいで水がなくなった気がしていて、その記憶の誤差について特に調べる気もなく今年も放置している。

電源を入れると、送風口からふわっと埃の匂いがした。焦げているわけではないのに、焦げたような、紙が湿ったような、うまく言葉にできない匂い。去年の冬、この部屋で過ごした夜のあれこれが、匂いの形をして一気に立ち上ってきたような気がして、しばらくスイッチの前に立ったまま動けなかった。

匂いというのは記憶より先に来るものらしい。去年の自分がどんな顔でこの部屋にいたか、細かいことはもう思い出せないのに、匂いだけは律儀に保存されている。埃のにおいが、去年の湿度をそのまま運んできたみたいだった。

本当はフィルターを洗わなければいけないのだと思う。水垢がついているはずだし、クエン酸を溶かした水にしばらく浸けておくといいという話も、どこかで一度は目にした気がする。でも結局、今夜もそのままスイッチだけ入れた。面倒だから、ではなく、面倒だと分かっているのに体が動かないから、という方が正確かもしれない。

こういうとき自分のことを、計画的な不精者だと思う。やることは把握している。手順も知っている。なのにやらない。知っているのにやらない人間が一番たちが悪いと誰かに言われたことがあるが、たちが悪いと言われても、やらないものはやらない。

加湿器の水は、翌朝見るとタンクの三分の一くらいに減っていた。一晩でこんなに部屋に水分を配っていたのかと、少し感心する。感心している場合ではなく、フィルターを洗う方が先なのだが、感心したところで洗う気にはならない。わかっているのに、できない。それでも部屋の空気は、昨日よりましになっている。

去年の冬、この加湿器の前で何を考えていたんだったか。……と、ここまで書いて気づいたのだけれど、去年の自分が何を悩んでいたのか、もうほとんど思い出せない。あんなに大きな問題だった気がするのに、1年経つと輪郭がぼやけて、ただ「加湿器の匂い」という形でしか残っていない。悩みは消えても、埃の匂いだけはしつこく残るというのも、なんだかおかしな話だ。

そう考えると、今悩んでいることも、来年の今ごろには匂いくらいの手触りしか残っていないのかもしれない。だったらもう少し気楽に構えていていいはずなのに、目の前の喉の渇きや、仕事の締め切りや、返信していないメッセージのことは、今この瞬間だけはやけに大きく見える。それが人というものなのだろうか。いや、わたしだけかもしれない。

フィルターを洗っていない加湿器から出る水蒸気は、きっと衛生的には褒められたものではない。それでも部屋の空気は確かに潤って、朝起きたときの喉のひりつきは少しましになった。完璧じゃない対策でも、何もしないよりはいくらかましという、そのくらいの及第点で今日はいいことにする。

あなたも今日、よく生きていたと思う。加湿器のフィルターを洗っていなくても、衣替えが半分で止まっていても、やろうと思っていたことの9割がまだ手つかずでも、それはそれとして、喉の渇きに気づいて水を飲みに起きたくらいの正しさは、ちゃんとあなたの中にある。

明日こそフィルターを洗おうと、今夜も思っている。思っているだけで、たぶんまた来週くらいまで引き延ばす気がする。それでいい、とまでは言い切れないけれど、それでも、という接続詞だけはいつも手元に置いておきたい。

電源ランプが青く光る加湿器を見ながら、埃の匂いがだんだん薄くなっていくのを待つ。匂いが消える頃には、きっと部屋の湿度もちょうどよくなっている。完璧に掃除されていない部屋で、完璧じゃない自分のまま、今夜もどうにか眠れそうな気がしている。

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