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かき氷のシロップ、毎年同じ色を選ぶ

8月10日、日曜の午後2時。台所の換気扇の下で、去年買ったかき氷機を戸棚の奥から引っ張り出した。埃を拭いて、氷を詰めて、ハンドルを回す。ガリ、ガリ、と鈍い音がして、白い雪みたいなものが器にこんもり積もっていく。窓の外では蝉が鳴いていて、その声とハンドルの音が、なぜか同じリズムで重なる瞬間があった。

シロップは3本、冷蔵庫のドアポケットに並んでいる。いちご、メロン、ブルーハワイ。どれもラベルの赤が少し色褪せていて、去年の夏からずっとそこにいる感じがする。3本とも中身はまだたっぷり残っている。当たり前だ。1回に使う量なんて、たかが知れているのだから。

氷が山になったところで、手が伸びる。迷ったふりをしながら、結局いちごの瓶を取っている自分に気づいたのは、去年もその前の年も同じことをしていたと、ふと思い出したからだった。メロンもブルーハワイも、瓶を持ち上げることすらしない。指がもう覚えているみたいに、いちごへまっすぐ向かう。

どうしていちごなのか。子どもの頃からそうだったから、というのが一番近い気がするけれど、それだけでもない気がする。赤い色を見ると安心する、というのもちょっと違う。うまく言えない。……と、ここまで書いて気づいたのだけれど、たぶん理由なんてなくて、ただ「選ばなくていい」という楽さを、毎年選んでいるだけなのかもしれない。

話は逸れるけれど、メロン味というのは本当にメロンの味がしないと思う。あれはメロンというより、メロン味の何か、としか言いようのない未知の緑色で、子どもの頃からずっとそう思っている。ブルーハワイに至っては、何味なのか30年生きてきて一度も答えが出たことがない。青い、としか言いようがない。青い味。

そういえば一昨年、勇気を出してマンゴー味のシロップを買ったことがあった。スーパーの棚で見つけて、たまには違う夏にしよう、みたいな気分になったのだ。結局あの瓶は、9割残ったまま去年の大掃除で発見され、賞味期限が半年過ぎていて泣く泣く捨てた。マンゴーは、うちの夏に馴染む前に終わってしまった。

新しいものに手を伸ばしたい気持ちが、まったくないわけじゃない。むしろ毎年、今年こそはメロンにしてみようかな、くらいのことは思う。思うだけで、氷の山を前にすると、やっぱりいちごの瓶に手が伸びている。わかっているのに、できない。それでも、氷は待ってくれない。溶け始める前に、決めなくてはいけない。

そもそもかき氷機自体、去年は3回しか出番がなかった。年に3回のために戸棚の奥から出して、洗って、片付けて、また来年まで眠らせる。それなのになぜか毎年、律儀に新しいシロップを買い足そうとしてしまう自分がいる。冷蔵庫のドアポケットは、使われない可能性の瓶でいつもぎゅうぎゅうだ。

削った氷にいちごのシロップをかけると、赤がじわじわ染み込んでいく。てっぺんから溶け出した部分だけ、少し色が薄い。スプーンを差し込むと、ガリッと硬いところと、フワッと柔らかいところが混ざっていて、口に入れると頭の芯がキンとする。あの感覚だけは、いちごでもメロンでもブルーハワイでも、たぶん同じだ。

食べているうちに、氷はどんどん水になっていく。器の底に赤い水たまりができて、さっきまで山だったものが、もう半分もない。あんなに立派だった雪山が、たった10分でこれだ。今年の夏も、こうやってどんどん減っていくんだろうな、と思うと、ちょっとだけ寂しくなる。溶けるとわかっているのに、毎年つい山盛りにしてしまう。

蝉の声は、8月の終わりが近づくほど、心なしか勢いが弱くなっていく気がする。地上に出てからせいぜい1週間かそこらだと聞いたことがあるけれど、あの声を聞くたびに、同じ夏は今年で最後なんだと、当たり前のことを思い知らされる。来年の8月にまたかき氷機を出したとしても、それは去年とは違う夏だ。

それでも人は、同じいちごを選ぶ。同じ瓶に手を伸ばし、同じ赤に染まって、同じようにキンとした頭で、同じように溶けていく氷を見送る。変わらないことを繰り返すのは、案外悪くない気がしてくる。少なくとも今日、私はちゃんと台所に立って、氷を削って、ここまで暑い中を生きてきた。あなたも今日、よくここまで来た。

メロンにする勇気は、たぶん来年も出ないと思う。ブルーハワイの味の正体も、一生わからないままかもしれない。それでいい、とまでは言い切れないけれど、少なくとも今年の夏は、いちごの赤で満足できた。それだけで、十分すぎるくらいだと思うことにしている。

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