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柿を一箱もらって、困っている

19時17分、インターホンが鳴った。画面には隣、405号室の佐藤さんが映っていて、両手で段ボール箱を抱えている。玄関を開けると、「実家から柿が送られてきすぎて」と、半分笑いながら箱を差し出された。覗き込むと、新聞紙にくるまれた柿が、ぎっしり詰まっている。数えていないけれど、たぶん20個は下らない。

受け取った瞬間、腕にずしりと重さが来た。果物にしては妙に重い。新聞紙越しに、まだ少し青さの残る匂いがする。表面はつるりとしていて、ひとつひとつがほんのり陽の匂いを持っているような気がしたけれど、気がしただけかもしれない。玄関先に箱を置いたまま、しばらく動けなかった。

困った。これは、困った。うちの冷蔵庫の野菜室は、すでに食べかけのキャベツと賞味期限の怪しい豆腐でぎゅうぎゅうだ。柿が入る隙間なんて、たぶんない。でも「実家から送られてきすぎて」と笑っている人の前で、「うちも入りきらないので」とは、とても言えなかった。結局「わあ、ありがとうございます」と、やや大きめの声で言ってしまった。自分の声の大きさに、自分で少し引いた。

柿というものは、子供の頃、祖母の家の庭に渋柿の木があって、毎年秋になるとそれを干していた。軒先に紐でぶら下げられた柿が、だんだん茶色くしわしわになっていくのを、なんとなく気味悪く眺めていた記憶がある。甘いのか渋いのか、見た目では判断がつかないところも、どこか信用ならない果物だと思っていた。大人になった今も、その印象はあまり変わっていない。

問題は、もらったあとだ。お返しに何を渡せばいいのか、まったく見当がつかない。お菓子だと軽すぎる気がするし、かといって高いものを渡すと「そんなつもりじゃ」と困らせてしまう。隣人同士の贈答のさじ加減というのは、誰も教えてくれないまま、なぜか正解があるような顔をして存在している。結局、何も思いつかないまま、箱だけが玄関に鎮座している。

好意というのは、思っていたより重さを持っているらしい。もらって嬉しいはずなのに、受け取った瞬間からどこかで帳尻を合わせようとする自分がいる。それに気づいた時、ちょっと嫌な気分になった。せっかくの柿が、気づけば「どう返すか」という宿題に変わっている。

これは柿だけの話じゃないな、と箱を見ながら思った。仕事でも、頼まれごとをひとつ引き受けるたびに、同じような重さを感じている気がする。「できます」と言った瞬間から、期待という名の新聞紙にくるまれた何かを、ずっと抱えて歩いているような感覚。断れば楽になるとわかっているのに、断れない。わかっているのに、できない。それでも、断れなかった自分を、今夜はあまり責めたくない気分だった。

とはいえ、柿は柿として、ちゃんとそこにある。腐らせるのはもっと気が引けるので、その夜のうちに一個だけ剥いてみた。包丁を入れると、思ったより果肉はしっかりしていて、甘い。渋柿だったら面倒だな、と身構えていたぶん、拍子抜けするほど普通においしかった。信用ならないと思っていた果物に、あっさり裏切られた。いい意味で。

翌朝、ゴミ出しのついでに405号室の前を通ったら、ちょうど佐藤さんも出てきていて、「昨日のどうでした」と聞かれた。「甘くて美味しかったです」と答えると、「よかった、うち余りすぎて正直困ってたんです」と笑っていた。困っていたのはお互い様だったのか、と思うと、なんだか少し気が楽になった。

あなたも今日、誰かの好意を、うまく受け取れずにぎこちなく笑ったことがあるかもしれない。それでいいんだと思う。もらったものをどう返すか、ちゃんと消化できるか、そこまで含めて完璧にこなせる人なんて、たぶんいない。

箱の中の柿は、あれから少しずつ減っている。職場に3個持っていったら意外と喜ばれたし、母に電話で愚痴まじりに報告したら「うちにも送ってって言いなさいよ」と笑われた。渡すあてのない重さだったはずのものが、少しずつ誰かの手に渡っていくのを見ると、なんとなく肩の荷も一緒に軽くなっていく気がする。

柿の季節は短い。気づけば店先からいつの間にか消えていて、来年また同じ顔をして並ぶ。今年もらったこの20個のことは、たぶん来年の今頃には忘れているだろう。そう思うと、玄関先で重さに戸惑っていたあの19時17分も、ちょっとだけ愛おしく思えてくる。

好意はときどき重い。義理もときどき面倒くさい。それでも、受け取った瞬間の戸惑いごと、悪くない夜だったなと思う。柿はまだ、冷蔵庫に半分残っている。どう食べきるかは、また明日の自分に任せることにした。

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