← 無理なく

十三夜、スマホのカメラじゃ月は撮れなかった

19時52分、洗濯物を取り込みに出たベランダで、なんとなく空を見上げた。十月も半ばを過ぎて、物干し竿を触る手が思ったより冷たかった。虫の声はもうずいぶん減っていて、代わりに隣の部屋の換気扇から、カレーのにおいが漏れてきていた。月は、思っていたより高いところに、思っていたよりくっきりと出ていた。

満月ではない。少し左側が欠けている。欠けているのに、なぜか今日の月は丸い満月よりも印象に残った。十三夜だ、と頭の中で誰かが言った気がした。たぶん自分の声だった。十五夜は毎年そこそこ覚えているのに、十三夜はいつも忘れていて、気づくと過ぎている。今年はたまたま、洗濯物のおかげで間に合った。

せっかくだからとスマホを持ち出して、月に向けてカメラを構えた。ズームを目一杯伸ばしても、画面に映るのは、ただの白くて丸い点。手ぶれ補正が頑張っているのか、画面の中の月だけがふらふら揺れて、まるで酔っ払いみたいだった。シャッターを押すたびにピントが合わず、結局そのへんの夜景アプリの設定をいじってみたりしたけれど、何も変わらなかった。

七枚くらい撮ったところで、全部同じような白い丸だと気づいて、笑ってしまった。写真フォルダの中の月は、どれも記念写真どころか、証明写真にすらなれていない。肉眼で見ている月とスマホの画面の月が、こんなに別物だとは思わなかった。目で見るぶんにはちゃんと欠けた形まで見えているのに、写真にすると、ただの光の塊になる。カメラの中に、月はいなかった。

そういえば、と思い出す。祖母の家の縁側で、月見団子を並べていたのは、たしか十三夜の夜だったような気がする。十五夜より十三夜のほうが、お月見としては実は格が高いのよ、と祖母が言っていた。本当かどうかは知らない。あのころは団子の数と白さにしか興味がなかったから、格の話なんて右から左だった。

いまは団子を買いに行く気力もなくて、冷蔵庫にあったプリンを立ったまま食べた。それはそれで悪くない夜だった。欠けた月の下でプリンを食べる人間がどれくらいいるのか知らないけれど、たぶん自分だけではないと思いたい。

十三夜の月は、満月まであと少し足りない形をしている。欠けている分だけ、見ていると少し落ち着かない。でも完璧な丸より、この少し欠けた形のほうが、今の自分には近い気がした。仕事も、今週は結局やり残しが二つあって、提出は間に合ったけれど資料の体裁は雑なままだった。欠けたまま出した、という感覚が、月の形と重なった。

欠けていてもいいのかもしれない、と一瞬思う。けれど正直に言うと、翌朝になればまたきっと、全部埋めなきゃという気持ちに戻ってしまうのもわかっている。わかっているのに、できない。十三夜を見て何かが変わるほど、人間は単純にできていないらしい。それでも、月を見上げた十分間だけは、欠けたままの自分を責めずに済んだ。

ベランダの手すりはずっと冷たくて、そのうち手がかじかんできた。隣のカレーのにおいは、いつの間にか消えていた。たぶん換気扇が止まったのだろう。月はまだそこにあって、特に急いでいる様子もなく、少しずつ欠けながら、少しずつ満ちていくところだった。欠けることと満ちることが、同じ一本の線の上で起きているのだと思うと、なんだか落ち着いた。

来年の十三夜がいつなのか、正直よくわかっていない。今年みたいに洗濯物のついでに気づけるかどうかも、怪しいものだと思う。それでいいのだろう、たぶん。毎年同じ月を見ているようで、同じ夜は一度もない。欠け方も、隣のにおいも、手すりの冷たさも、全部その夜限りのものだった。

スマホのフォルダには、結局ピンボケの白い丸が七枚残った。消そうかと思ったけれど、やめた。何かの証拠にはならないけれど、あの夜ベランダに立っていた記録ではある。今日あなたも、何かのついでに、ちゃんと外の空気に触れただろうか。そうだったなら、それだけで十分な夜だったと思う。

月は写真に撮れなくても、ちゃんとそこにあった。見るだけで満足できることが、意外とまだ自分にも残っていたらしい。欠けた月を見上げながら、欠けたままの今日を、無理に埋めなくてもいいかと、少しだけ思えた夜だった。

← 記事一覧にもどる