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夜11時、天井の電気を消してみたら

夜11時、ふと天井を見上げて気づいた。私の部屋は、朝も昼も真夜中も、ずっと同じ白い光に照らされている。コンビニと同じ明るさで、私は深夜まで営業していた。この部屋に住んで3年、初めて気づいた。

試しに、天井の照明を消して、机の上の小さなランプだけにしてみた。消した瞬間は「暗っ」と思って、すぐ点け直しそうになった。リモコンを探して、ないので立ち上がりかけて、いや待てよ、と座り直した。この「点け直したい」も、たぶんただの癖だ。

数分で、目が慣れた。部屋の隅に影ができて、視界がすっと狭くなる。狭くなったのに、息苦しくない。むしろ静かになった。音は何も変わっていないはずなのに、光が減ると、部屋の音量まで下がった気がするから不思議だ。

ランプの光が届く範囲に入っているのは、マグカップと、読みかけの本と、ハンドクリームだけだった。今夜の持ち物はこの3つです、と言われたような並びだった。それで足りるんだ、夜って。スマホは光の輪の外の、暗がりに置いてあった。手が、伸びなかった。

思えば、昔の夜はもっと暗かったはずだ。行灯とか、囲炉裏とか、火のまわりだけが明るくて、人はその光の輪の中で一日を閉じていた——と、見てきたようなことを書いているが、私は行灯の実物を見たことがない。ないのだが、体のどこかがあの暗さを覚えている気がする。気がするだけかもしれない。

以来、夜9時を過ぎたら天井の光を消すのが習慣になった。特別な道具は、数千円のランプひとつ。それだけで、同じ6畳が「活動する場所」から「休む場所」に変わった。部屋は同じなのに、光だけで意味が変わる。引っ越しより安い模様替えだと思う。

暗くしてから、見えるようになったものがある。窓の外の月とか、冷蔵庫の低い唸りとか、カーテンが空調で揺れるのとか。ずっとそこにあったのに、白い光の下では存在を忘れていたものたち。明るさは、意外といろんなものを消していた。

眠れない夜も、暗い部屋なら「眠れないまま、休む」ができる。煌々と明るい部屋で眠れないと焦りだけが育つが、薄暗がりなら、起きていることがそんなに失敗に感じられない。解決はしていない。していないが、夜はちゃんと過ぎていく。

今夜も11時に、パチンと消す。世界が急に狭くなる。いい方の狭さだ。ランプの輪の中に、今夜も3つくらいの持ち物と、私だけがいる。

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