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花火の匂い、シャツからなかなか消えなかった

8月10日、19時50分開始の花火大会に行った。近所の川沿いで、屋台は焼きそばとくじ引きとかき氷しかない、規模としてはかなり小さい部類の花火だった。それでも土手には人が並んで、缶チューハイの空き缶が転がって、誰かの子どもが「まだ?まだ?」と繰り返していた。

20時15分に終わって、家に帰って、シャワーを浴びて、脱いだシャツを洗濯かごに放り込んだ。そのとき、ふっと匂いがした。硫黄でもない、線香でもない、なんというか祭りのあとにしか香らない、あの独特の匂い。煙のようで煙じゃない、火薬が燃えたあとの、ちょっと焦げたような、でも嫌いじゃない匂いだった。

翌朝、洗濯機に入れる前にもう一度そのシャツに顔を近づけてしまった。これは完全に不審者の動きだと思う。誰も見ていないのに、なぜか少し恥ずかしかった。それでも匂いはまだそこにいて、昨夜の土手の湿った空気ごと、布の繊維に染み込んでいるみたいだった。

洗濯した。普通に洗剤を入れて、普通に回した。乾いたシャツを取り込んで、また嗅いだ。まだ残っていた。うっすらと、でも確かに。二回目の洗濯でようやく薄くなって、三回目でほとんどわからなくなった。三日かかった計算になる。三日というのは、思っていたより長い気もするし、たった三日かとも思う。

その匂いが消えていく過程を、なぜか毎回確認せずにいられなかった。消えてほしいような、消えてほしくないような、自分でもよくわからない気持ちで、洗濯物を嗅ぐ大人になっていた。

花火大会というのは不思議な催しで、何百発と打ち上げても、終わればきれいさっぱり何も残らない。土手にはゴミが少し落ちているくらいで、翌朝には清掃車が来て、それすらもなくなる。あれだけの音と光と人だかりがあったのに、痕跡といえば、誰かのシャツに染み込んだ匂いくらいのものだ。

そう考えると、あの匂いは花火が唯一この世に残していく「あと」だったのかもしれない。いや、違うかもしれない。単に化学反応の副産物が繊維に付着していただけで、そこに意味を見出しているのはこちら側の勝手な都合だという気もする。それでも、匂いを嗅ぐたびに土手の空気を思い出せたのは事実で、事実として、それはありがたいことだった。

去年の花火大会は、誰と行ったか正直あまり覚えていない。一昨年はもっと覚えていない。今年は一人で行った。誘おうか迷った友人がいたけれど、既読がつかないまま19時になって、結局そのまま出かけた。その人とは半年前まで毎週のように連絡を取っていたのに、今はもう、既読すらつかないことにそこまで驚かなくなっている。

会わなくなった理由は特にない。喧嘩もしていないし、嫌いになったわけでもない。ただ連絡の頻度が少しずつ減って、それが自然な形のまま止まっただけだ。花火の匂いが三日で消えるように、人とのやり取りにも、誰も決めていないのに消えていく速度みたいなものがあるのだろうか。

土手には去年もいたはずの屋台のおじさんが、今年もいた。同じ位置で、同じ焼きそばを、同じ手つきで返していた。あの人にとって花火の匂いは、一年に一度、体に染み込んで、また一年かけて薄れていくものなのかもしれない。そんなことを勝手に想像しながら、焼きそばを一つ買った。ソースの匂いのほうが、花火の匂いより早く消えた。

同じ夜は二度と来ない、というようなことを、誰かに言われたら鼻で笑ってしまいそうな言葉だけれど、洗濯物を三日かけて嗅ぎ続けた身としては、案外そのとおりだったと認めざるをえない。去年の花火は去年の花火で、今年の花火は今年の花火で、来年また同じ場所で花火が上がったとしても、それは今年とは別の夜だ。当たり前のことなのに、匂いが薄れていくのを追いかけて、初めてちゃんとわかった気がする。

…と、ここまで書いて気づいたのだけれど、私は別に、匂いを消したくなかったわけではない。ずっと花火の匂いのするシャツを着ていたいわけでもない。ただ、消えていく途中を見届けたかっただけなのだと思う。消えることに抵抗はしない。ただ、見ていたかった。

夏はこういう、消えるとわかっているものを見届ける季節なのかもしれない。氷も、線香花火も、蝉の声も、花火の匂いも。全部いずれなくなるとわかっていて、それでも今この瞬間はまだここにある、というものばかりが並んでいる。

シャツはもう普通の匂いに戻った。洗剤の匂いしかしない、いつものシャツだ。それでも衣装ケースの奥にしまうとき、ほんの少しだけ、まだ何か残っていないかと袖のあたりに鼻を近づけてしまった。何もなかった。当然だ。三回も洗ったのだから。

花火の匂いは消えた。でも土手で焼きそばを食べたことも、既読のつかないメッセージのことも、屋台のおじさんの手つきのことも、匂いが消えたあともまだ自分の中に残っている。消えるものと残るものの境目は、案外はっきりしていないのかもしれない。

今年の夏もあと少しで終わる。あなたも今日、暑いなかをよく歩いた。花火の匂いも、夏そのものも、消えていくときは静かに消えていく。それでいい、と今のところは思っている。

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