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風鈴の音が、うるさいと思った夏

ベランダの物干し竿に、江戸風鈴をひとつだけ吊るしている。去年の夏、浅草の路地で買った。ガラスの縁がわざとギザギザに仕上げてあって、そこに風が当たると、チリン、というよりチン、に近い硬い音が鳴る。短冊は水色で、もう端が少し丸まっている。7月11日、19時46分。仕事帰りにマンションの階段を上りながら、その音が聞こえてきた瞬間、わたしは「うるさいな」と思ってしまった。

涼しさを呼ぶための道具に、うるさいと思う。書いていて自分でもおかしいと思う。風鈴というのは本来、暑さのなかにひとつだけ涼を置いておくための、いわば夏のインテリアの優等生だ。それなのにその夜のわたしは、鍵を開ける手を止めて、しばらく玄関先で「頼むから止まってくれ」と念じていた。風鈴に念を送るなんて、たぶん人類史上あまり例のない行為だと思う。

麦茶のポットを開けると、氷が溶けかけてカラン、と鳴った。その音はうるさいと思わなかった。同じ「涼しさの音」なのに、扱いに差が出る。冷蔵庫の前に立って、なぜだろう、と考えた。考えても、はっきりした理由は出てこなかった。ただ、その日は昼過ぎの会議が長引いて、誰かの意見に「たしかにそうですね」と七回くらい言った気がする。七回言うと、たぶん自分の意見は溶けてなくなる。

扇風機を首振りにして、90度の範囲でゆっくり顔を撫でさせながら、ベランダの風鈴をもう一度見た。ガラスが西日を受けて、オレンジ色にちかちか光っている。きれいだ、とは思った。きれいだと思うのと、うるさいと思うのが、同じ数分のあいだに両方来る。これはいったいどっちが本音なんだろう。いや、本音とか嘘とか、そういう話でもないのかもしれない。

風鈴を好きだった頃のことを思い出そうとした。小学生の夏休み、祖母の家の軒先にぶら下がっていたやつだ。あれは南部鉄器のもので、音がもっと低くて、遠くから聞こえても心配にならない音だった。あの頃は、風鈴の音が鳴るたび「まだ夏休みが続く」という証明のように感じていた。今の自分にとって風鈴の音は、証明というより通知に近い。スマホの通知音と同じ棚に、いつのまにか放り込まれていた。

外してしまおうか、とベランダに手を伸ばしかけた。実際にひもに指をかけた。けれど結局、外さなかった。理由を聞かれても困る。うるさいと思っているのに外さない自分は、なんだか矛盾している。矛盾しているな、と自分で気づいてはいるのに、指はひもから離れて、また部屋に戻った。ここまで書いて、わたしはたぶん風鈴を嫌いになったわけではないんだ、と気づいた。ただ、その音を「涼しい」と受け取るだけの余白が、あの日はなかっただけなんだと思う。

考えてみれば、風鈴の音そのものはいつも同じ振動数で鳴っている。ガラスの厚みが変わらない限り、たぶん音の高さは今日も去年もそう変わらない。変わっているのはこちらの側だ。同じ音を、涼しいと聞く日と、うるさいと聞く日がある。それはたぶん、風鈴のせいではなくて、その日のわたしの容量の問題だった。容量、というのも変な言い方だけど、ほかにいい言葉が見つからない。

翌朝、5時過ぎにセミがもう鳴き始めていた。ミンミンゼミの、あの一直線に伸びる声。窓を開けたら、風鈴もチリンと鳴った。今度はうるさいと思わなかった。前の夜と同じ風鈴、同じわたしのはずなのに、朝はふつうに「涼しいな」と思えた。夜の19時46分と、朝の5時過ぎとで、こんなに聞こえ方が違うなら、音の正体なんてあってないようなものかもしれない。

職場の休憩室にも、誰かが小さな風鈴を置いている。あれもきっと同じように、聞く人の状態によって、うるさいと思われたり、涼しいと思われたりしているはずだ。風鈴には罪がない。罪があるとしたら、こちらの受信状態のほうだ。とはいえ、受信状態を毎日ちょうどよく調整できるほど器用な人間なら、そもそも風鈴にイラつくこともないのだろう。

短冊は今年でもう三度目の夏を越している。水色の紙は西日に焼けて、端のほうがすこし白っぽくなってきた。この短冊もあと何回、夏を見送るんだろう。同じ風の当たり方、同じ音の鳴り方は、たぶん二度と来ない。今日鳴った音は今日きりで、明日はまた違う角度の風が、違う響きを連れてくる。そう思うと、うるさいと感じたあの夜の音さえ、ちょっと惜しい気もしてくる。

あなたも今日、暑いなかをよく歩いた。会議で七回「たしかにそうですね」と言った日があっても、それはそれで、ひとつの夏の過ごし方だ。風鈴がうるさく聞こえる日があってもいい。涼しさを受け取る余白がその日はなかっただけで、風鈴のことも、自分のことも、責める理由にはならない。

結局わたしは、風鈴を外さないままこの夏を過ごすと思う。うるさいと思う夜も、涼しいと思う朝も、たぶんこれからも両方来る。どっちが本当の自分か、なんて決めなくていい。決めなくていいと分かっていても、ときどきまた外そうか迷うのだろう。それでいいんだと思う。ガラスは今日も、ただ風が吹くたびに、勝手に鳴っているだけなのだから。

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