8月18日、13時40分発の電車を待つホームで、売店の冷凍みかんを買った。170円。ガラスケースの中で霜をまとって並んでいるのを見た瞬間、暑さも忘れて手が伸びていた。ネットに入ったまま渡されるので、指のあいだから網目がぎゅっと食い込む。冷たさがすぐに手のひらに移って、ああ、これこれ、と誰にともなく思う。
ホームのベンチに座って、まずは眺める。ネットの網目越しに見るオレンジ色は、なんだか実際より綺麗に見える気がする。霜が薄く張っていて、外側だけがしっとり溶けはじめている。中はまだ凍っている。わかっている。わかっているのに、電車が来るまでの7分がやけに長く感じられて、結局ネットを剥がしてしまった。
一口目。ガリッ、というより、ゴツ、という音がした。歯の先に硬さがそのまま返ってきて、キーンと奥歯に響く。しばらく口を開けたまま動けなかった。隣に座っていた高校生らしき二人組が、こっちを見て何も言わずに視線を戻した。恥ずかしいというより、なんというか、もう何年もこの失敗をくり返している自分に呆れる。
小学生のころ、遠足のたびに母が冷凍みかんを凍らせてくれた。前の晩から冷凍庫に入れておいて、朝、リュックに入れる頃にはまだガチガチで、バスの中でようやく食べごろになる。あの頃はバスに揺られている時間があったから、自然と待てていたのだと思う。今はホームで7分すら待てない。時間が短くなったのか、自分がせっかちになったのか、たぶん両方だ。
しみる歯を押さえながら、ふと気づく。待てば甘くて、待てなければ痛いだけのものを、なぜいつも急いでしまうのだろう。仕事のメールも、返信が来る前に既読がついているか確認してしまうし、炊飯器の蒸らし時間だって律儀に守れたためしがない。待つことがどうしても下手だ。下手というか、待っている自分に耐えられない、というほうが近いかもしれない。
電車が来て、乗り込む。冷房が効いていて、汗が急に冷たく感じられる。手の中のみかんは、さっきよりだいぶ柔らかくなっている。今度はちゃんと待とうと決めて、網目の跡がついた手のひらを窓にあてた。ガラスは外の熱でぬるい。
……と、ここまで書いていて気づいたのだけれど、べつに待てなくてもよかったのではないか。硬いみかんを齧って、歯がしみて、それはそれで夏の一場面としては悪くない。甘さを取り損ねたことを、そこまで悔やむ必要はないのかもしれない。いや、悔やんでいるわけではないな。ただ、毎回同じ失敗をする自分を、ちょっと面白がっているだけだ。
車窓に流れる田んぼの緑が、光を反射してぎらぎらしている。冷房の効いた車内から見ると、あの熱さは他人事のように見える。実際、さっきまで自分もあの中にいたのに。人間の記憶というのは涼しい場所に入った瞬間から、暑さのことを都合よく忘れはじめるらしい。
みかんは3口目でちょうどいい柔らかさになった。酸っぱさと冷たさが同時に広がって、歯にしみる痛みももうない。この、ちょうどいい瞬間はたぶん今日しかない。次に冷凍みかんを買うのはいつになるかわからないし、その時にはまた同じように待てずに齧るだろう。それでいい気もする。
隣の車両からアナウンスが聞こえて、次の駅で扉が開く。夏の匂いが一瞬だけ車内に入り込んで、また閉まる。網目のついた手のひらの跡は、まだうっすら残っている。ちょっとした勲章みたいなものだと思うことにした。
待てないことを直そうとは、もう思っていない。直そうとしてきた結果がこれだ。7分すら待てず、歯を痛めて、隣の高校生に見られる。それでもまた同じことをする自分がいる。矛盾しているけれど、矛盾したまま持っていてもいい気がしている。
あなたも今日、暑い中をよく歩いた。冷たいものを我慢できずに口に入れてしまう日があったって、誰にも咎められることじゃない。急いだ分だけ歯がしみることもあるし、それもまた、その日その時だけの感覚だったりする。
電車を降りる頃には、みかんはちょうどよく溶けていた。網目だけが手のひらに残って、それもすぐに消えた。来年もきっと同じ売店で、同じように待てずに齧るのだろう。それでいいと、今は思っている。
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