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土用の丑の日、うなぎを買わなかった

7月19日、18時40分。スーパーの入口に「本日、土用の丑の日」ののぼり旗が立っていて、その下に行列ができていた。うなぎ売り場の換気扇からは、タレの焦げる匂いが道の半分くらいまで漂ってきていて、それだけで胃袋が正直に反応した。ガラスケースの中のうなぎは照明のせいか妙につやつやしていて、値札には3980円という、平日の自分には少し勇気のいる数字が貼られていた。

行列の人たちは疲れた顔をしていた。仕事帰りなのだろう、スーツのままの人、子どもの手を引いた人。みんな無言で、でもどこか使命感を帯びた顔で並んでいた。今日食べないと、なにか大事なことを見逃すような。そういう空気が、うなぎ売り場のまわりだけ濃く漂っていた。

わたしはその行列の横を、素通りした。理由は特にない。ただ今日は、朝からずっと会議の議事録を直していて、頭のうしろのほうがずっと重かった。うなぎのために並ぶ体力が、今日はどこにも残っていなかった。それだけのことだった。

土用の丑の日は、もともとうなぎが売れない夏に、平賀源内が考えた宣伝文句だったと、何かで読んだ記憶がある。江戸時代のコピーライティングが、令和のわたしの財布のひもを、今もこんなに正確に緩めにかかってくるというのはちょっとした事件だと思う。250年前の広告が、いまだに現役で効いている。それってすごいことなのか、それとも少し怖いことなのか、よくわからない。

それを知っていても、のぼり旗を見ると財布の中身を無意識に確認してしまう自分がいる。パブロフの犬なら、せめて条件反射のご褒美にうなぎにありついているのに、わたしはただ確認して、素通りするだけだった。犬より不憫かもしれない。

帰り道、コンビニに寄って麦茶のペットボトルだけ買った。2リットルで158円。うなぎ一切れの何分の一の値段で、家の冷蔵庫はしばらく安泰になった。それだけで今日はもう十分な気がした。

家に着いて、扇風機をつけた。首振りの動きが少しかくかくしていて、去年の夏からずっと直していない。羽根が回る音のあいだを縫うように、麦茶をコップに注ぐ音がして、それだけの部屋の中で、うなぎを食べなかった夏の一日が静かに終わろうとしていた。

夏バテしないためにうなぎを食べる、という理屈は正しいのだろう。栄養があるのはわかっている。けれど夏バテというのは、うなぎ一切れでどうにかなるようなものではなくて、たぶん7月の暑さそのものと、締め切りと、満員電車と、そういうものが積み重なって出来ているものだ。うなぎはそこに、少しだけ、ほんの少しだけ効くくらいのものだと思う。

特別な日に、特別なことをしなくても、夏は普通に過ぎていく。うなぎを食べなかった夜も、食べた夜と同じ速さで、蝉は鳴きやみ、気温は下がり、朝が来る。特別な日という枠組みのほうが、季節そのものより先に消えていくのかもしれない。……と、ここまで書いて、それは少し寂しい発見でもあるなと気づいた。

来年は並ぶかもしれない。行列の匂いに負けて、財布を開くかもしれない。それとも来年もまた、疲れた顔で素通りするかもしれない。どちらの自分になるかは、今のわたしにはわからないし、決めておく必要もない気がする。

うなぎを食べなかったことに、罪悪感を持つ必要はたぶんない。のぼり旗の下で行列していたあの人たちも、素通りしたわたしも、同じ7月19日を、それぞれのやり方で通り過ぎただけだ。あなたも今日、暑い中をよく歩いた。それだけで、この夏はもう少し進んだことになる。

翌朝、スーパーの前を通ったら、のぼり旗はもう外されていた。うなぎ売り場も、いつもの静かな棚に戻っていた。あの行列も、あの匂いも、あの日限りのものだったのだと思うと、少しおかしくて、少しさびしい。来年の7月にまた同じ旗が立つとしても、それはもう今年のこの夜とは、別の夜なのだろう。

冷蔵庫を開けたら、昨日の麦茶がまだ半分残っていた。コップに注いで飲む。うなぎの代わりにはならないけれど、今日という日を生きのびるには、これくらいでちょうどよかったのだと思うことにした。

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