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コオロギの声で、夏が終わったと知った

23時58分、燃えるゴミの日の前夜、袋を提げてマンションの共用廊下に出た。まだTシャツ一枚で歩ける気温で、コンクリートの手すりはひんやりというより、ただ生ぬるい。ああ今年もこの生ぬるさか、と思いながらゴミ捨て場の扉を開けた瞬間、耳の奥にすっと入ってきたのがコオロギの声だった。

いや、コオロギかどうかは正直わからない。虫の名前を正確に言い当てられたことなど一度もない。リーリーというのかチロチロというのか、とにかく数日前まで聞こえていたはずのセミの、あの脳天を貫くような音とはまるで違う、細くて涼しい音だった。扉の前で数秒、突っ立って聞いていた。

気づけば、というのが正しい。気づいたら夏が終わっていた。カレンダーの上ではとっくに九月なのに、体のほうは半袖のまま、麦茶を氷でなみなみに割ったまま、扇風機を首振りにしたまま、去年と同じ夏をずっと続けているつもりでいた。虫のほうが先に、勝手に季節を切り替えていた。

自分の体感なんて、実はいちばん頼りにならないものかもしれない。今日も駅から家までの十二分、汗をかきながら歩いてきたし、部屋に戻ってからもエアコンの設定を28度から動かしていない。なのに耳だけは、扉一枚の向こうで秋の音を拾ってしまう。体はまだ夏にしがみついているのに、耳だけが先に手を挙げて降参している。そのちぐはぐさが、なんだかおかしかった。

部屋に戻って、冷蔵庫から麦茶を出した。氷を三つ入れて、飲みながら網戸を薄く開けてみる。虫の声はさっきよりはっきり聞こえて、その向こうでうっすらとエアコンの室外機の音も響いていた。涼しさをつくる機械の音と、涼しさを知らせる虫の声が、同じ夜の同じ空気の中で張り合っている。どっちも「もう十分でしょう」と言っているようで、聞いているこっちは半分も納得していないのに。

そういえば去年の九月、自分は何をしていただろうと思い出そうとして、思い出せなかった。仕事の締め切りに追われていたことは覚えている気がするけれど、それがいつのどの締め切りだったのか、もう輪郭がぼやけている。虫の声も、去年のあの夜のものと、今夜のものと、同じ音だったはずなのに、記憶の中では重なってひとつになってしまっている。毎年同じ夜が来ているようで、実は一度も同じ夜は来ていない。それなのにこっちはいつも「また今年も」で片づけてしまう。

ここまで書いて、気づいたことがある。自分はどうも、夏が終わることに、思っていたよりも寂しさを感じているらしい。仕事は正直しんどかったし、暑さにもうんざりしていたし、涼しくなるのはむしろ望んでいたはずなのに、いざ虫の声にそれを告げられると、少しだけ喉のあたりが冷たくなる。終わってほしくないもの、というのが自分にもまだあったのか、と驚く。

机の上には、開けっぱなしのノートパソコンがある。9月の頭に受け取ったメールへの返信を、まだ書けていない。書けていないというより、書く気力がまだ夏休みモードから戻ってきていない、というほうが近い。虫は季節を切り替えるのが早いのに、自分ときたら三週間経ってもまだ切り替わっていない。がんばらなきゃ、とは思う。思うのに、指はキーボードの上で止まったまま、麦茶のグラスの結露だけが机に丸い跡を作っていく。

べつにそれでいいのかもしれない、と思う。虫の声が秋を告げたからといって、自分の中の何かが同じタイミングで整う義理はない。虫は虫の都合で鳴いていて、自分は自分の都合で麦茶を飲んでいる。季節と歩調を合わせなくても、生きてはいける。わかっているのに、なぜかカレンダーを見るたびに「もう九月なのに」と自分を急かしてしまう癖だけは、なかなか抜けない。

扇風機は今夜も首を振っている。もうそろそろしまい時だとわかっているのに、しまわない。しまったら最後、本当に夏が終わってしまう気がして、その儀式をずるずる先延ばしにしている。去年の夏物のTシャツも、まだクローゼットの手前側にかかったままだ。衣替えは半分だけでいい、と自分に言い聞かせている。全部やる必要なんて、たぶんない。

虫の声は、こちらの都合なんてまるで気にせず鳴き続けている。窓を閉めても、テレビの音量を上げても、意識の隅ではずっと鳴っている。うるさいと思うほどではないけれど、無視できるほど遠くもない。ちょうどいい距離で、今夜が今夜であることを教え続けてくる。あなたも今日、暑いのか涼しいのかよくわからない一日を、なんとかやり過ごしただろう。それだけで十分だと思う。

麦茶のグラスが空になった。もう一杯注ごうか迷って、やめた。氷が溶けて薄くなった麦茶よりも、今日はもう寝てしまったほうがいい時間だ。網戸を閉め、電気を消す。真っ暗な部屋の中で、虫の声だけがしばらく続いていた。夏が終わるというより、夏がゆっくり隅のほうへ退いていくような、そんな音だった。

明日になれば、また同じように汗をかきながら駅まで歩くのだろう。虫の声を合図に急に涼しくなるわけでもないし、仕事の締め切りが待ってくれるわけでもない。それでも今夜、扉一枚の向こうで聞いたあの音のことは、たぶんしばらく覚えている気がする。季節も、体も、仕事の気力も、思うようには切り替わらない。それでいい。切り替わらないまま、少しずつ夜が短くなっていくのを、ただ聞いていればいい。

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