7月10日、19時すぎ。ベランダに取り込んだタオルから、いつもと違う匂いがした。生乾きというのとも少し違う、雨上がりの排水溝に近いような匂い。梅雨が明けたと思ったら急に降ってきた雨のせいで、洗濯物は昨日から部屋干しのままだった。除湿機はつけていた。回してもいた。それでも匂いは消えなくて、こうなるともう部屋で何とかしようとするのが間違っている気がしてくる。
タオルと部屋着を大きな袋に詰めて、家から歩いて6分のコインランドリーに向かった。夜の住宅街は蒸していて、アスファルトからまだ日中の熱が上がってきている。どこかでクーラーの室外機が唸っていて、それが街全体の呼吸みたいに聞こえた。今日はもうだめだ、と思う日と、今日はもう任せよう、と思う日はよく似ているけれど、後者のほうがいくらか気が楽だ。
コインランドリーの中は明るくて、少し肌寒いくらいに空調が効いていた。乾燥機がふたつ回っていて、ドラムの中で誰かのシャツが規則正しく落ちては舞い上がっていた。100円玉を4枚、投入口に入れる。カラン、カラン、と軽い音がして、表示が「40」に変わる。40分。何をするにも中途半端で、何もしないには少し長い時間が、目の前にぽんと置かれた形になる。
備え付けの丸椅子に座った。座った瞬間、右の脚だけ数ミリ短いのか、ぐらっと傾いだ。座り直しても同じで、体重のかけ方を変えると鳴き声のようにギッと軋む。誰がいつからこの椅子の脚をこんなふうにしたのか知らないけれど、たぶん直される予定もないまま、これからも誰かをこうしてぐらつかせ続けるのだろう。妙な連帯感が生まれて、少し笑ってしまった。
乾燥機の音は、ゴウンゴウンと低く一定で、耳に慣れてくるとむしろ静けさに近づいていく。温風の匂いがふわりと漂ってきて、それは洗剤の匂いと熱の匂いが混ざったような、どこか懐かしいものだった。子どもの頃、実家にあった古い乾燥機の前にしゃがみ込んで、扉の丸い窓から回る服を眺めていたことを思い出す。あの頃は暇で、暇をつぶす方法をいくつも知っていた気がする。今はスマホがあるのに、暇のつぶし方をひとつ忘れてしまったみたいだ。
スマホを見ようとして、やめた。バッテリーが19%しかなくて、ここで使い切ると帰り道が不安になる。それだけの理由で、画面をポケットにしまう。すると手持ち無沙汰になって、ラックに置かれた雑誌をぱらぱらとめくった。3年前の旅行特集で、表紙のモデルの服装が今見るとちょっと懐かしい。誰かがここに置いていったのか、店の人が置いたのか分からないその雑誌は、たぶんこの先も誰にも持ち帰られることなく、ここでゆっくり日焼けしていくのだろう。
隣の乾燥機からは、知らない誰かの靴下が片方だけ、床にぽとりと落ちていた。拾って中に戻そうか迷ったけれど、持ち主はまだ戻ってきていなくて、勝手に触るのも変な話だ。結局そのままにしておいた。片方だけの靴下というのは、なぜだかいつも少し切ない。もう片方がどこにあるのか、この先も分からないまま二枚がそれぞれ違う道を辿っていくような、そんな大げさな想像までしてしまう。
何もしていないのに、時間だけは進んでいく。当たり前のことなのに、コインランドリーの丸椅子に座っているとそれがやけにはっきり分かる。家にいれば、洗濯機が回っている間に皿を洗ったり、メールを返したり、何かしらの用事を差し込んでしまう。ここでは差し込む用事がない。ただ座って、ただ乾くのを待つ。何もしていない、というその状態が、思ったより悪くなかった。
……と、ここまで書いて気づいたけれど、私はたぶん「何もしない時間」を持て余す人間だ。休日に予定を詰め込みがちだし、電車を待つ数分でさえニュースアプリを開いてしまう。それなのにこの40分だけは、なぜか諦めがついた。乾燥機が回っている間はどうやっても何もできない、という言い訳が、私を怠けさせてくれたのかもしれない。自分で選んで休むのは苦手なのに、状況に強制されると急に上手に休める。この矛盾は、たぶんこれからも直らない。
26分が経った頃、表示が「14」になっていた。逆算する意味は特にないのに、なんとなく残り時間を確認してしまう。これも家でだらだらしている時と似ていて、休んでいるつもりで実は時計を気にしている。完全に手放すというのは、思うより難しい。分かっているのに、できない。それでも、丸椅子はまだぐらぐらと私を許してくれている。
外に出ると、さっきより少し風が出ていた。生温い風だけど、汗ばんだ首筋には十分ありがたい。乾燥機から取り出したタオルはほんのり温かくて、あの排水溝みたいな匂いはもう跡形もなく消えていた。ただの、清潔な布の匂い。こんなに単純なことに安心できるなんて、と思いながら袋を抱えて歩く帰り道は、行きよりいくらか軽く感じた。
あなたも今日、湿気にやられながらもちゃんと生活を回していた。洗濯物のことで頭を悩ませるのも、地味だけど立派な生活の一部だと思う。今夜、部屋干しの匂いに気づいてため息をついているなら、それはあなたがちゃんと日々を続けている証拠でもある。
コインランドリーの丸椅子は、たぶん今夜も誰かをぐらつかせている。その脚が直る日は来ないかもしれないし、片方だけの靴下の持ち主はもう二度と現れないかもしれない。それでいい、というのも変な話だけれど、そういう半端なものが転がったまま回っている場所があるのは、なんだかちょっと救いになる。すべてがきちんと片づかなくても、乾くものはちゃんと乾く。今夜のところは、それで十分な気がしている。
← 記事一覧にもどる