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防災リュック、賞味期限切れの水が出てきた

9月8日、22時すぎ。テレビの台風情報が、画面の左上に小さく赤い渦を映していた。窓ガラスがときどきミシッと鳴る。まだ雨は降っていないのに、ベランダの物干し竿だけが先に怯えたみたいにカタカタ揺れていた。ああ、そろそろ来るな、と思った。思っただけで、しばらくソファから動かなかった。

動かなかったくせに、頭のどこかでずっと引っかかっていたのが、クローゼットの奥にある防災リュックのことだった。去年の台風のとき、慌てて引っ張り出して、結局何も使わずにまた奥にしまった、あのリュック。存在は覚えているのに、中身はもう思い出せない。人はこういうものを「備え」と呼ぶらしいが、実際にやっているのは「しまい込み」の方だったりする。

重い腰を上げて引っ張り出すと、ファスナーが妙に固かった。じじじ、と鳴きながら開く。中からゴムとホコリの混じった匂いがした。何かの生き物の巣を開けたような、少し気まずい匂い。懐中電灯を取り出したら、電池のところが白く粉を吹いていた。液漏れというやつだ。単三電池4本、もう電池というより化石に近い状態になっていた。

水のペットボトルを見る。500mlが6本。ラベルの賞味期限のところに、小さく「2021.3」とある。今は2025年の9月だ。えっと、と思わず声に出た。備蓄というより、もはや年代物のワインに近い。乾パンの缶にいたっては製造年月日が2019年で、当時のわたしはまだ髪型も違ったし、隣の部屋には別の人が住んでいた気がする。時間というのは、こういう地味な場所に一番正直に積もる。

備えあれば憂いなし、とはよく言うけれど、うちの場合は備えあれば期限切れなし、ではなく、備えあれば期限切れあり、だった。ことわざの改変にしても締まらない。自分で書いていて、これはオチにすらなっていない気がする。でもまあ、そういうものだと思う。

水を並べながら、2019年の台風の夜のことを思い出した。あのときは本当に怖かった。ベランダの手すりがびょうびょうと鳴って、隣の家の看板が飛んでいくのが見えた。慌てて近所のドラッグストアに走って、水と乾電池と、たしかチョコレートも買った。レジに並んでいるとき、みんな無言で、それぞれの不安を抱えて立っていた。あのときのわたしは、真剣にこのリュックを詰めた。今、それが期限切れの水になっている。誰のせいでもない。ただ、3年という時間がそこに静かに横たわっていただけだ。

全然関係ないけれど、会社の防災訓練を思い出した。年に一度、ヘルメットをかぶって校庭みたいな駐車場に並ばされる、あれ。点呼をとって、消火器の使い方の説明を聞いて、10分で解散する。あれもたぶん、実際に火事が起きたときに機能するかどうかより、「訓練をやった」という事実のほうを積み上げている気がする。うちの防災リュックと、そう変わらないのかもしれない。

水を新しいものに買い替えようか、しばらく迷った。ネットで探せば5年保存できる水もあるらしい。でも今夜はもう23時をまわっていたし、明日でいいかと思った。明日でいいと思ったことは、たぶん来月もそう思う。わかっている。わかっているのに、やらない。この往復運動が、わたしの防災グッズの歴史そのものだった。

書きながら気づいたのだけれど、わたしがリュックに詰めていたのは、水や乾パンだけじゃなかったのかもしれない。あのとき感じた不安を、どこかにしまっておきたかっただけなんじゃないか。だとしたら、期限が切れていても役目は果たしていたことになる。……いや、それは都合のいい解釈かもしれない。実際に停電したら、期限切れの乾パンより、新しいコンビニのパンのほうがずっと役に立つ。

それでも、リュックのジッパーを閉めながら、今すぐ買い替えなくてもいいか、という気持ちが静かに戻ってきてしまう。台風が来るたびにこの往復をしているような気がする。備えなきゃ、と思う日と、まあいいか、と思う日が、交互にやってくる。どちらかに決着をつけられたことは、たぶん一度もない。

翌朝、台風は思ったより逸れて、風だけが少し強く吹いて過ぎていった。ベランダに出ると、洗濯物を干すにはまだ湿った空気だったけれど、日差しは真夏よりだいぶ丸くなっていた。虫の声が、去年より少し早口に聞こえた。ああ今年もこうやって、何も起きないまま9月が過ぎていくのかもしれない、と思ったら、それはそれで悪くなかった。

あなたのクローゼットの奥にも、たぶん似たようなものが眠っている。誰かのために、あるいは過去の自分のために、真剣に詰めたはずのリュック。中身は古くなっているかもしれないし、もう何を入れたかも忘れているかもしれない。それでも、それを詰めた夜のあなたは、ちゃんと備えようとしていた人だった。それだけは期限切れにならない。

今夜、あなたもきっとニュースの赤い渦を横目で見ながら、洗濯物のことや、明日の傘のことを考えていたんじゃないだろうか。そうやって小さく生活を回し続けているだけで、もう十分やっている気がする。

水はまだ買い替えていない。乾パンの缶も、たぶんまだそこにある。今度こそ、と思いながら、また同じ台風の夜にこの文章を思い出すのだろう。それでいい、とまでは言わないけれど、それでも、と思うくらいはしていたい。備えは完璧じゃなくても、そこにあるだけで、少しだけ夜を軽くしてくれる。そういうことにしておく。

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