← 無理なく

涼しくなったのに、まだアイスを食べている

9月14日、23時。窓を少し開けると、虫の声が部屋に入ってきた。リィリィという細い音で、去年より高いのか低いのか、そんなことは毎年覚えていないから比べようがない。ただ、風だけは確かに変わっていて、頬に当たると少し肌寒いくらいだった。長袖を着ようか迷って、結局着なかった。

それなのに、その足で向かった先が冷凍庫だった。扉を開けると、白い霜が庫内灯に照らされて、まるで小さな冬がそこだけ取り残されているみたいに見える。奥には先週買った箱アイスが、六個入りのはずが、もう二個しか残っていない。減っていくスピードだけは真夏と変わらない。

包装をパリッと剥がす音が、静かな部屋にやけに大きく響く。バニラの表面に霜がうっすらついていて、それをスプーンでこそげ取ると、ざらっとした冷たさが最初に来て、そのあとにようやく甘さが追いついてくる。舌の上で溶けていく感じは、夏の盛りに食べたときと何も変わらなかった。窓の外は秋の入り口なのに、口の中だけが真夏にいる。

わかっている。もう長袖を出す時期だし、アイスより温かい紅茶のほうが理にかなっている。それは頭ではちゃんとわかっているのに、体はまだ夏のモードから抜けていないらしい。冷たいものを口に入れた瞬間だけ、ほっとする回路がまだ生きている。切り替えのスイッチがどこにあるのか、探しても見つからない。

スーパーの棚はもうとっくに秋仕様だった。栗のモンブランや、かぼちゃのプリンが平積みされていて、アイスコーナーは端のほうに追いやられている。それでも私は端まで歩いて行って、いつもの箱アイスを一つ、律儀に買い足してしまう。店員さんは何も言わないけれど、レジ袋の中でその箱だけが季節から浮いている気がした。

昼間はまだ暑い。半袖でも汗ばむくらいなのに、日が落ちると急に涼しくなって、Tシャツ一枚だと肩のあたりがすっと冷える。この寒暖差のせいで、体のほうも判断を保留しているのかもしれない。夏物をしまうタイミングも、暖房器具を出すタイミングも、結局まだ決めきれずにいる。衣替えは、心のほうがいつも遅れてやってくる。

母に電話をしたとき、まだアイス食べてるのと笑われた。うちも冷凍庫にひと箱残ってるよ、と続けて言われて、なんだ、私だけじゃないのかと少し安心した。もう何十年も季節を送ってきたはずの母でさえ、切り替えはきっちりできていない。それを聞いて、こういうことに正解なんてそもそもないのだろうと思った。

涼しくなったらすぐに切り替えられる人を、私は少しうらやましく思う。半袖から長袖へ、扇風機からストーブへ、迷いなく移っていける人。でも自分はいつも半歩遅れて、まだ夏のものを手放せずにいる。もったいないからだろうか。いや、違う気がする。ただ、名残を惜しんでいるだけなのかもしれない。

冷凍庫の中の残り二個のアイスは、たぶんこの週末で食べ切ってしまうだろう。そうしたら、しばらくは買い足さない気がする。買わなくなる瞬間に、はっきりとした境目があるわけではなくて、気づいたら手が伸びなくなっている、それだけのことだ。夏の終わりというのは、そういうふうに静かに訪れる。

9月のアイスは、8月のアイスよりわずかに味が濃く感じる。気のせいかもしれないけれど、暑さがそこまで強くないぶん、舌が甘さをちゃんと拾えるからだと思う。同じ商品なのに、季節によって違う顔をするのがおもしろい。今年の残り二個は、たぶんもう二度と同じ条件では食べられない味だ。

窓の外の虫の声も、あと何回聞けるかわからない。ふと、それを数えようとして、やめた。数えたところで増えるわけでもないし、数え終わった瞬間から寂しくなるだけだ。今夜の声は今夜だけのもので、それでいいのだと思うことにした。

仕事のほうも、そろそろ衣替えのように気持ちを切り替えなきゃと思っている。夏の間ゆるめていたペースを戻さなきゃ、繁忙期に備えなきゃ、そういう声が頭の中で鳴っている。でも今夜のところは、その声を全部聞かなかったことにして、アイスの最後のひとくちをすくった。まあ、それくらいの怠け方は許されるだろう。

あなたも今日、暑いのか涼しいのかよくわからない一日を、なんとかやり過ごしただろう。長袖にするか半袖にするか迷った朝も、冷たいものが恋しくなった夜も、ちゃんと自分の体の声を聞いていた証拠だと思う。季節の変わり目に、体も心もすぐには追いつかない。それでいい。

冷凍庫にはまだ、うっすら霜のついた箱が残っている。食べ切ったらしばらく買わないつもりでいるけれど、来週また涼しい夜にふと手が伸びるかもしれない。それならそれで、いいと思う。夏の名残を、もう少しだけ舌の上に置いておいてもいい。誰に咎められることでもないのだから。

← 記事一覧にもどる