2時47分。エアコンのタイマーは3時に切れる設定にしていたから、あと13分だけ涼しい時間が残っている。それなのに目が覚めてしまった。天井の隅、換気口のあたりに常夜灯の光がぼんやり丸く映っていて、それをしばらく見ていた。
設定温度は26度。寝る前はちょうどいいと思ったのに、明け方になるとシーツが少し湿っている。背中に貼りついた布の感触で、ああ今日も暑かったんだな、と気づく。窓の外では虫の声がまだ途切れずに続いていて、こちらは休む気配がない。
タイマーを2時間じゃなくて3時間にすればよかったんだろうか。いや、そういう問題でもない気がする。3時間にしたところで、たぶん2時間50分くらいでまた目が覚める。私はどうも、涼しさの終わりを自分の体でわざわざ確かめに行くくせがあるらしい。
これは今年に限った話ではなくて、去年もおととしも、8月になるとだいたい同じことが起きている。設定した時間より少し早く、決まって目が覚める。まるで、涼しさが切れる瞬間に立ち会わないと気が済まないみたいに。
仕事でも似たようなことをしている、と、ここまで書いて気づいた。締切の少し前に必ず一度、確認のために手を止める。誰も見ていないのに、区切りが来る少し前にそわそわして、先に自分で確かめてしまう。涼しい夜も、忙しい昼間も、私はどうも「終わる少し前」に弱い。
3時ちょうどに、エアコンがふっと止まる音がした。正確には音というより、空気の質感が変わる感じ。それまで一定に流れていた冷たい風が、すっと引いていく。3分もしないうちに、部屋の温度がじわりと戻ってくるのがわかる。冷蔵庫のドアを開けっぱなしにしたときに似た、ゆるやかな敗北。
ここでもう一回タイマーをつければいいのに、それはしない。なんとなく、ここからは我慢する時間だと自分で決めてしまっている。誰かに命令されたわけでもないのに、律儀に暑さを受け入れにいく。ばかみたいだと思いながら、扇風機の首振りだけオンにする。
扇風機は26.5度で止まる、という取扱説明書の一文を前に見つけて、そういう温度でこの機械は「もう十分」と判断しているのかと少し笑った。私の体には、そんな親切な自動停止機能はついていない。暑くても寒くても、勝手には止まってくれない。
汗ばんだ首筋に、扇風機の風がときどき当たる。その角度に入るまで、体をずらしたり戻したりする。この、風を追いかけて寝返りを打つ感じ、子どもの頃からずっと変わっていない。大人になっても結局こうやって、涼しい場所を自分で探しにいくしかないんだな、と思う。
そういえば、タイマーというのは誰が最初に「切れる時間」を決めたんだろう。1時間、2時間、3時間、4時間。この4段階の中から選ばされているだけなのに、私はまるで自分で終わりを設計したような顔をして眠りにつく。実際には、ただ用意された選択肢の中から選んでいるだけなのに。
仕事の締切も、休みの予定も、たぶん似たようなものだ。全部自分で決めているつもりで、実はどこかにあらかじめ用意された枠の中で、選んでいるふりをしている。それに気づいたところで、じゃあどうすればいいのかは、正直よくわからない。わからないまま、また同じように区切りの少し前で目を覚ます。
3時23分。もう一度眠ろうとして、目を閉じる。さっきまでの涼しさの名残がまだ布団の中にわずかに残っている。それが完全に消えるまでの数分間だけ、なんとなく得をした気分になる。実際には得でも損でもなく、ただ気温がゆっくり動いているだけなんだけれど。
隣の部屋からは何の音もしない。同じ屋根の下にいる人も、たぶん同じように暑さと折り合いをつけながら眠っているんだろう。誰かと一緒に暑い夜を越しているというだけで、少しだけ気が楽になる。ひとりで戦っているわけじゃない、というだけのことなんだけど。
結局、朝までにもう一度エアコンをつけた。4時15分、また2時間のタイマーで。同じことを繰り返すとわかっていながら設定してしまう自分に、少し呆れる。わかっているのに、できない。それでも、涼しい2時間があるだけで、朝はいくらかましになる。
あなたも今日、暑い中をよく過ごした。タイマーの切れる前に目が覚めてしまう夜があっても、それは失敗でも我慢のしすぎでもなく、ただ体が正直に暑さを感じているだけのことだと思う。涼しさにも終わりがあって、それを毎晩ちゃんと見届けているなんて、なかなか律儀じゃないか。
明日の夜も、たぶん同じ時間に目が覚める。それでいい。涼しさが切れる瞬間にいちいち立ち会う自分を、責めなくていい。8月はまだしばらく続くし、タイマーはまた、いつでも押し直せる。
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